海老原博幸・入門20日でプロ合格!

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元世界フライ級チャンピオン海老原博幸選手。デビュー昭和34年9月20日。世界フライ級王座に付く事2度。戦績66勝(36KO)5敗1分。その左ストレートは、カミソリ・パンチと恐れられた。

以下抜粋は、ボクシングマガジン誌1981年2月号に、"青春を彩った想い出の試合"と題して、海老原博幸氏(故人)が寄稿された文章です。

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昭和34年8月、ぼくが19歳の時、ある人の紹介で、元ボクサーで"とんきん"というトンカツ屋をやっていた金平正紀(故人)さんを知り、そのお店に入れてもらい、昼間は出前や下働きをして、合間をみて金平さんの所属していた野口ジムへ、自転車で練習に行きました。マスターの金平さんも一緒です。

ところが入門して3日目にスパーリングをやらされました。まだ基礎も何も判らない私は、相手が打ってくるのをよけるのが精一ぱい。

でも私も目茶苦茶のケンカ流でなぐりあいました。その時「オイ若いの、いいぞ」って声をかけられました。それが先代の野口 進 会長(故人)だったんです。

やっとの思いで3回のスパーが終わってボクがハアハアいっていると、金平さんが「会長どうですか?」って野口会長に聞くと、「ウーン、土方と魚屋のケンカだね」って大きな声で笑われましたよ。

そして「お前、新人王に出ろ」って言われてびっくりしました。だって予選が始まるのに1ヶ月位しかないんだか  ら。

その前にテストもあるでしょう。それからは毎日スパーリングで、本当の意味で私は体でボクシングを覚えたわけです。

そして20日目にテストを受け、これにパスした時は自分自身がビックリしました。すくなくともプロと名のつくスポーツで、たった20日間で受かった人は、少ないでしょうね。

野口 進 会長の言葉が聞いたのかどうかは別として、協栄ジムの先代金平正紀会長は、先のトンカツ屋を売り飛ばし、海老原選手の育成に全てをかける為ボクシング界に戻って来た。

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私が聞いている限りでは、"とんきん"のオーナー金平氏が会長。コックだった山神淳一氏(写真右・現、藤沢市の協栄山神ジム会長)がトレーナー、出前持ちの海老原氏が選手と、店のメンバーがそっくりジムになったという嘘みたいな話・・・。

このお店、結構はやっていたようで惜しむ人も多かったとか。場所はJR恵比寿駅近くで、私もこの由緒ある場所へ連れて行ってもらった事があります。先代金平会長、トンカツの味には"一言"持っておりました。

若い師弟は、お礼の菓子折りを下げて、あっちのジムこっちと道場を借りて歩く毎日を繰り返す。

今日の協栄ジムには、全国各地からアマ、プロ選手達がスパーに訪れます。そして大竹マネジャーは、その全てを快く引き受けます。それは、こんな歴史をわかっているからこその、心意気でしょうか。

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海老原選手は、東日本フライ級新人王決勝戦で原田政彦(笹崎)選手に敗れましたが、その後は32連勝。昭和38年9月18日ポーン・キングピッチ(タイ)を僅か127秒で倒し、世界フライ級チャンピオンに輝く。

ライオン野口会長から、「ウーン、土方と魚屋のケンカだね」と言われた初スパー以来4年の歳月が流れていた。

 

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このページは、BOXINGNAVIが2010年9月11日 15:15に書いたブログ記事です。

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