1976/11 ボクシングマガジンから

| コメント(0)
表紙は、世界王座を世界王座を獲得した2人。ロイヤル小林(国際)選手と、具志堅用高(協栄)選手。10月9日、10日と連日行われた世界タイトルマッチで、二人とも見事なKO勝ちで世界王座を獲得しました。

その後、この表紙を飾った両雄は、両極端最な道を歩む事になります。日本リングでの世界戦史で、小林選手は最短命王者となってしまいましたが、具志堅選手は、13度の最多防衛記録を残しました。

小林選手、オプション契約により45日以内に廉東均(韓国)の挑戦を受ける事を、WBCから義務付けられての挑戦でした。興行権は前チャンピオン、リアスコのパナマ側が握っていたようですが、試合地は中立国となっています。

フェザー級でもウェートのきつい小林選手は、この試合の為に11キロの減量をしたそうです。この当時は15回戦ですから、今なら45日以内なんて言うのは”無茶苦茶”でしょう。

小林選手は11月24日韓国・ソウルのリングに上がり、スリップ気味の”軽いダウン”を喫した事が命取りとなり、僅差の判定負け。ダウンをスコアした後、廉東均は足を使って逃げまくり、15ラウンドを終えたのでした。

この試合、あと”100万円出せば”日本で出来た試合だったとか。結果に付いては、一概に言えませんが・・・。

小林選手、この後も世界王座を追いかけましたが果たせず、最後の試合地も因縁深い韓国。保持するOPBFフェザー級王座の防衛戦。よもやのKO負けを喫すると、潔く引退。

豪快なKOパンチで人気を博した小林選手。こんな写真が、マガジン誌に掲載されるほどの”豪傑”でした。記事によると本当に飲むのは、試合後10日間くらいだけだそうですが(^^)

この小林選手と、アマチュア時代ライバルだった上原康恒(協栄)選手は、時間を掛けて指名挑戦権を得、アメリカでタイトル獲得しましたが、オプション契約がない為、初防衛戦から4,500万円という、とんでもないファイトマネー。

2度目の防衛戦で前チャンピオン、サムエル・セラノ(プエルトリコ)にタイトルを奪回されましたが、この2度の防衛戦で稼ぎました。

具志堅選手も、2度目の防衛戦まではオプション契約がありましたが、先代金平会長の交渉力で、開催地を日本に漕ぎ着け、厳しい外国人ジャッジの採点にも負けなかった事が、”ロングラン”の出発点となっています。

具志堅選手、H・りオス(パナマ)との初防衛戦ではダウンを喫し、血だるまとなっての防衛。厳しい試合でした。

2度目のR・マルカノ戦では、大差と思いきや、冷や汗の判定勝ち。ラストラウンド採っていなければ、判定やばかった試合です。オプション契約突破は、難しいものですね。

それにしても、具志堅選手の初防衛戦をTVで見て、協栄ジムに入って来た渡嘉敷勝男選手が、先輩具志堅選手の王座を引き継ぐとは、効率が良すぎの協栄ジムですね(^^)

コメントする

このブログ記事について

このページは、BOXINGNAVIが2006年3月 6日 16:36に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「杉谷 実 VSブルース・カリー/再起」です。

次のブログ記事は「亀田VSボウチャン」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

2010年11月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
Powered by Movable Type 5.02