大熊正二・他・執念のタイトル奪取!

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表紙は、世界タイトル12度目の防衛を果たしたWBA世界L・フライ級チャンピオン、具志堅用高(協栄)選手。6月1日高知市で行われたタイトルマッチで、挑戦者、世界同級1位のマルチン・バルガス(亜)を問題にせず、見事8回KO勝ちで、このクラスの世界タイトル”防衛新記録”12回を達成しました。

このバルガス選手で一番驚いたのが、1日にコーラ(250ml)を40〜50本近く飲んでいたと言う事実です。

中々信じ難いことですが、バルガスの世話人をやっていた方から直接聞きましたので、間違いありません。朝食は、パン10切れ、スクランブル・エッグとハムの山盛り、ジュース・・・・。

しかし、計量は何の問題も無く1回でパス。試合では、新記録達成に燃える具志堅選手の前に、全く歯が立ちませんでした。

しかし、具志堅選手の快勝が、この試合が最後になろうとは、知るよしもありません。強敵相手の防衛新記録達成で、更なる長期政権を期待されましたが、次戦では楽な相手と見られていたペドロ・フローレス(メキシコ)に大苦戦。そして、再戦でタイトルを奪われてしまいました。

6月11日日本武道館で、村田英次郎(金子)選手が、WBC世界バンタム級チャンピオン、ルペ・ピントール(メキシコ)に挑戦。この試合は私も観戦しましたが、大変素晴しい好試合で、広い武道館に6千人の観衆は、ちょっと寂しい気がしました。

惜しくも”引き分け”で世界タイトル奪取ならなかった村田選手の、世界タイトル挑戦ロードはここから始まりました。次のWBAタイトル挑戦も”引き分け”となってしまう村田選手。東洋では無敵でした。

上写真は、練習後のピントールと記念撮影。”怪物”カルロス・サラテ(メキシコ)からタイトルを奪ったピントール。しかしその採点は、2人が1ポイント差でピントール、残り一人は、10ポイント差でサラテ。

同一マネジャー(クーヨ・エルナンデス)の選手同士(直前まで)の世界戦。こんな判定もアリだったという事ですが、ピントールは強いチャンピオンでした。

5月18日戒厳令下の韓国ソウルで行われたWBC世界フライ級タイトルマッチで、”望み無き挑戦”とまで言われた元世界同級王者、大熊正二(新日本木村)選手が、チャンピオン 朴 賛希(韓国)を9回18秒KOで破り、5年4ヶ月ぶりに世界王者にカムバック。

23才、デビュー23戦目で掴んだ世界タイトルは、僅か”百日天下”に終わり、その後5度のチャレンジは、いずれも”あと1歩”及ばずの試合でした。

しかも、前年7月、ゴンザレスに不覚のKO負けを喫し、さすがに限界と見られ、今度は参加するだけの世界タイトル挑戦と見られていたこの試合。

「本人には言えないが、難しいだろうなぁ〜」、周囲にもこんなムードが漂う中、大熊選手は試合に挑みました。7回クリンチの際、大熊選手がチャンピオンを投げ倒す格好になってしまい、チャンピオン 朴 転倒。

すると、観衆は、リング目掛けてありとあらゆる物を投げつけ、試合はしばし中断。木村会長は、「大熊の調子が良かったので、これで中止はたまらない」と、思ったそうですが、幸い試合続行。「レフェリーが良くやってくれた」と、振り返っていました。

試合は、ボディ攻撃が功を奏し9回18秒、KO勝ち。上写真は、勝利の喜びに抱き合う師弟です。選手も泣き、会長も泣いた感動的なシーンでした。

「自分の子供よりも、俺に賭けてくれた会長を、もう一度世界チャンピオンのマネジャーにしたかったんです。自分のためじゃなかった」と、大熊選手。「よくやったな」と応える木村会長。それにしても、ここまでの5年4ヶ月は、長い道のりでした。

50年1月、せっかく手に入れた世界タイトル(WBC)を、”なんで負けなの”という試合で、ミゲル・カント(メキシコ)に奪われた大熊選手。カントへの2度の挑戦も、あまりに遠い”後一歩”の差で敗退。

自らが世界王者の座から引き摺り下ろした、ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)が王者カムバック(WBA)し、再び挑むも痛烈なKO負けで失敗。

しかし、歴史はここで終わらず、14度防衛の名王者カントからタイトルを奪い、韓国リングのスーパー・スターとなっていた朴 賛希を破って世界王座に戻ってくるとは・・・。

その後、朴 賛希も、2度に渡り大熊選手に挑戦。失われた自身の”名誉と誇り”を賭けて、世界タイトル奪回を図りましたが失敗。引退に追い込まれています。

大熊選手は、3度の防衛に成功。木村会長からは、破格のファイトマネーをもらい、功を遂げる事が出来ました。

2度の世界フライタイトル挑戦に敗れた坂田健史(協栄)選手も、初めて世界タイトル挑戦してからまだ1年半余り。過去にはやり遂げた先輩達がいたと言う事実を直視し、”初志貫徹”、世界王者の仲間入りを果たして下さい。

協栄ジムの先輩、元WBA世界S・フェザー級王者、上原康恒さんは、2度目の世界タイトル挑戦で念願を果たすまで、実に6年間、”後輩チャンピオン”具志堅用高選手の後姿を追いかけ続けました。

上原選手の世界初挑戦は、デビューの地ハワイのリング。気負った上原選手は、作戦を忘れ、最初から激しい打撃戦に突入。

これは、チャンピオン、ベン・ビラフロア(比)の思う壺で、2回あっけないKO負け。その後は、日本タイトル防衛に専念。長い冬の時代が始まりました。

6年後、仇敵ビラフロアからタイトルを奪い、世界王座に君臨していたサムエル・セラノ(プエルトリコ)への挑戦のチャンスを指名挑戦者として掴みます。

試合決定が3週間前、試合地はアメリカ・デトロイト。王者セラノは10度タイトル防衛中、カケ率8−2は好意的。しかも、スポーツ新聞読んで自分の世界タイトル挑戦を知った上原選手。これ本当です。(^^)

誰も見送る人のいない成田空港から、寂しく飛び立った上原選手一行。しかし、やりました。6回2分59秒KO勝ち。右1発でした。

一人でデトロイトまで応援に来ていた美穂夫人が、「康恒、何やってんだ。やっつけて来い」と怒鳴ったら、本当に倒して来たと、つい先日当時の横井マネジャーから聞きました。

相性、努力、気持ち、運。言葉にすればいろんな要素がありますが、試合する以上、勝てない試合はありません。数字とか過去の戦歴は大事なデータですが、そこから来る気持ちの作り方、戦い方の指示が、大切なのではないでしょうか。

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このページは、BOXINGNAVIが2006年3月17日 12:32に書いたブログ記事です。

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