2006年4月アーカイブ

ハーバート康

| コメント(0)
”戦慄の強打”柴田を大の字・ハーバート康

昨夜、大竹マネジャーとハーバート康選手の話で盛り上がる。

「だけどひどいよ、誰もやらないんだから康さんと」「大竹、お前やれって言われても、中学生だよこっちは」「カップの下が痣になっちゃうんだから」「半端じゃないよ〜」「あんなのは無いよ今まで」

「そう言えば山ちゃん(S・山本会長)も言ってたな」「ジョニーが来ないんだよ〜」「小林さん、おっかない顔して待ってんだよ〜」「俺は、いい金貰えたから良かったけどさぁ、シャイアン大変だよな苦労してんなぁ〜」(^^)

「小林さんもパンチあったけど、康さんもなぁ〜」「あの時中学生だから、本気じゃ打ってないからなぁ〜」「アッ、アブドル・ベイ。こいつもパンチあったよ」「誰もやらないから、大竹、お前やれだよ」「簡単に言うなって言うんだよ」(^^)

「康さんに、どうしたらそんなに強いパンチ打てるのか聞いたんだよ」「そしたら、”握るんですよ”って言ってたな」「あんなのいないなぁ〜今」

1969年1月15日、後楽園ホールに2,500人の観衆を集めて行われた東洋フェザー級タイトルマッチ。王者ハーバート康(韓国)に柴田国明(ヨネクラ)選手が挑戦。

試合は開始直後から柴田選手が、王者を一方的に打ちまくる展開。滅多打ちとでも言える状態の中、減量苦が噂されているチャンピオンは、ボディを打たれ、あわやこれまでかという場面も再三再四。

”サンドバックのように康を打つ柴田”と、いう表現も使われています。

柴田選手一方的にリードで迎えた6ラウンド、貝のようにガードを閉ざしていたチャンピオンが、一瞬の隙を突いて放った”右アッパー”一発。

試合はこれで終わり。日本での試合で金沢和良、伊達健七郎、斉藤勝男、柴田国明を全てKOに切って落としたハーバート康、この時21才。その将来を、大きく嘱望されましたが・・・。

この康選手、お父さんがジムオーナーでもあり、マネジャーでもあり、トレーナーでもありました。お父さんも東洋チャンピオンになっています。愛妻を若くして亡くし、男手一つで4人の子供を育てたのだそうです。

15才から息子を指導し、息子を東洋チャンピオンにする為に、ジムを一時閉鎖するほどの力の入れようで、「朝は、子供と一緒にロードワークしています」

しかし、ハーバート康選手。以後は、練習嫌いの天才として名をはせる事になってしまいました・・・。

ボクシングマガジン74・11

| コメント(0)
4大世界戦特報で、表紙を飾るのはWBC世界S・フェザー級王者・柴田国明(ヨネクラ)VS指名挑戦者世界2位・ラミロ・クレイ・ボラノス(エクアドル)。この試合は10月3日、日大講堂で行われました。

柴田選手15回レフェリーストップのKO勝ちで、2度目の防衛に成功。3度目の世界王座で、初めてオプションの壁を突破。これからやっと、稼げるチャンピオンになれます。

WBC世界フライ級タイトルマッチ。10月1日、日大講堂で王者・ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)に10位小熊正二(新日本木村)選手が挑戦。

この年5月の王者とのノンタイトル戦では、判定負け。しかし、その時の善戦が認められて?ランキング入り、初の世界挑戦となりました。

ノンタイトルでゴンザレスと対戦するに当たり木村会長は、「もし、小熊が今世界の何位かに入っていたら、こんな冒険はしない」、「こっちが勝てば、世界戦をやってもいいと言うんで、黙って見送る手も無いと思って」、「小熊もそろそろ勝負させてもいいかなと思って」

試合は、大番狂わせで小熊選手が2−1の判定勝ち。見事世界王座に駆け上がりました。23才。23戦目の快挙達成。ちなみに木村会長、39才。

この小熊選手、なんでも最初は電車から見えた協栄ジムへ足を運び入門するつもりだったとか。最初は中へ入れず、2度目は日曜で誰もいなかった。

そういえば、柴田国明選手も最初は協栄ジムへ入るつもりで来たんだとか。しかし、その童顔を見て某トレーナーが、親の承諾書を持って来なさいと断った話、聞いたことがあります。本当かなぁ?

10月8日、日大講堂では世界S・ウェルター級タイトルマッチ、王者・オスカー・ショットガン・アルバラード(米)VS龍 反町(野口)が行われています。

8日間で3度の世界タイトルマッチが開催される日大講堂、凄いですね。全て全国ネットのゴールデンタイム、90分。26日には、セルバンテスVS門田戦も行われています。

親友輪島選手の敵討ちに挑んだ、反町選手。予想も悪くは無く、試合開始は反町選手の左がポンポン当たる展開。当たるばかりに、左を忘れ右狙いになり、半ば自滅・・・。

スタミナをなくし、当たれば強いショットガンを貰い、7回KOに散りました。野口会長は、「2年前なら反町のKO勝ち。体力の限界」と語っていますが、反町選手は否定。結果としては、現役続行しましたが・・・。

9月22日ローマで行われたWBC世界S・ライト級王座決定戦。ぺリコ・フェルナンデス(スペイン)VSライオン古山(笹崎)。

古山選手の挑戦を受けるはずだった9度防衛中の王者、ブルーノ・アルカリ(伊)が減量苦の為タイトル返上、急遽組まれた王座決定戦。

判定が下った瞬間、テレビ解説の小林 弘 (元世界S・フェザー級王者)さんが、「そんなバカな!ひどいよ・・・」

思わず絶句して、後は泣き声になった事は有名な、”欧州式”判定で古山選手は敗れました。レフェリーの1ポイントが命運を分けました。

手数では圧倒していた古山選手。しかし、”ディフェンス”がポイントになる欧州スタイルの採点方式に泣かされました。前王者アルカリも「スポーツとして見れば、古山の勝ち」と語っています。

「試合中は、女房と生まれてくる子供の事ばかり考えて、石松君のように世界を獲らなければ」と古山選手。世界タイトルに一番近かった試合でした。

夢と希望と挫折が入り混じったボクシング界。”希望”を持ってカムバックしたのが、ハーバート康。25才。

かつて日本のリングで、日本バンタム級のトップ金沢和良、斉藤勝男の両選手を失神させ。東洋フェザー級タイトルに挑戦して来た柴田国明が、5回まで打って打って打ちまくっていたその刹那、ようやく打った右アッパー1発で、柴田選手も失神。

それも5年前、練習嫌いの天才は自滅道を歩み。以後は、泣かずとばず。柴田選手は今や世界王者、これに刺激されたのか日本のリングに夢を賭け、カムバック。

10月6日、S・ライト級で戦った日本6位清家正勝(川口)選手とのカムバック戦でも、恐怖のKOシーンを見せてくれました。いつもこれだ・・・。

ハーバート康とスパーをした経験がある大竹マネジャー、「半端じゃないよ、怖いよあれは」と、よく語ってくれます。

”挫折”を乗り越えて、世界の舞台に這い上って来たのがシゲ福山(協栄)選手。ロスの人気者、世界フェザー級4位ダニー・リトルレッド・ロペス(米)を9回KOで仕留め、一躍スターダムに。

福山戦前までのロペス選手の戦績は、24勝(23KO)1敗。オリンピック・オーデトリアムで完全なアンダードックとして組まれたこの試合、ロペスは世界王者、ボビー・チャコン(米)への挑戦も決まっており、楽勝と見られていました。

しかし、福山選手が大番狂わせのKOで勝つと同時に、世界タイトルへの挑戦権も横取りしてしまいました。反町選手を破ったアルバラードとは同僚。

一時は4連続KO負けで、日本の関係者からは”見放された選手”だった福山選手。この勝利で一躍有名になり、西城2世、シンデレラ・ボーイ2世とも言われ、凱旋帰国。 

ロスでの第1戦めのファイトマネー650ドル(当時20万円)が、今やロペス戦では7千ドル(当時210万円)も稼ぐようになり、次はさらにアップ。世界王者になれば、桁が違ってきます。

”希望”をかなえようとしているのは、内山真太郎(船橋)選手。イトウ先生が、本当に真面目と言いますから、マジで”超真面目”な選手。

8ヶ月間ハワイで修行を積んだ内山選手が、今、真剣に考えている事は”ハワイ移住”の事。どんな事があってもハワイで暮らしたいんだそうです。

ボクサーになって外国に行くのが夢だった内山選手、最近お母さんをハワイ旅行に招待したそうです。ある程度目的を果たせた今、外国はどこでもいいんじゃなくて、ハワイで無ければダメと断言。
「ボクサーの運の良し悪しは、落ち目になったチャンピオンを、倒せるか倒せないかにあると思う。その点、うちの柴田国明は運の強い男だ」

ヨネクラジム米倉健志会長の言葉です。下写真は、塚原プロモーターとイトウ先生。米倉選手の世界挑戦交渉先ロスの試合会場、オリンピック前でのスナップ。

1960年5月、前年パスカル・ペレス(亜)の持つ世界フライ級タイトル挑戦に失敗し、バンタム級に転じていた米倉健志(興伸)選手は、世界バンタム級王者ジョー・ベセラ(メキシコ)挑戦の機会に恵まれます。

戦績75戦69勝(42KO)4敗2分、左パンチが強く、前年10月には対戦相手がKO負け後死亡するという事故もあり、”殺人パンチャー”の異名を取るベセラ。。

このベセラ、ガッツ・石松選手に王座を追われた、ロドルフォ・ゴンザレスとはいとこの間柄だったとか。

後楽園球場で行われた試合は、あいにくの雨天で3日間の延期。どちらも同じ条件とはいえ、この時代の選手は大変でしたね。白井義男選手も、計量終えて食事を取り終えたら雨が降り始め、すぐさまカッパを着て練習なんて事があったようです。

この試合、米倉選手はスピーディに動き回り勝負は判定へ、「セコンドの指示通り動けたし、最終ラウンドまで疲れも感じなかった」

レフェリーがメキシコ、ジャッジは日本、アメリカで2−1の判定負け。後半は、その殺人パンチから逃れる為、足を使い動き回った米倉選手。セコンドだけでなく、リングサイドの関係者までもが後半は「逃げろ、逃げろ」

結果、大魚を逃す事になってしまいました。米倉戦後、ベセラはノンタイトルで無名選手にKO負け。あっけなくタイトル返上して、引退してしまいました。強い選手に勝った後は、良くこういうケースがありますが・・・。

写真は、イトウ先生宅で合宿中の米倉健志選手。この辺りは、昔のままではないでしょうか。

冒頭の言葉ですが、柴田選手も運が強かったと思いますが、ガッツ・石松選手も運が強い。しかし、米倉会長も運が強いと思います。

柴田選手の世界S・フェザー級タイトル挑戦、最初はWBAでサム・一の瀬氏の秘蔵っ子ビラフロア。これは、リターンマッチで取り返されましたが、敗れた直後のWBC王者アルレドンド挑戦。石松選手のゴンザレス挑戦。

これは全て、ハワイのサム・一の瀬プロモーターが絡んで、チャンスが出来ています。この人間関係も運が強いと思います。両選手共、負けて直ぐに世界挑戦決まってしまったんですから・・・。(写真はジムでの、イトウ先生と一の瀬氏・右)

僅か1ヵ月半で、2人の世界チャンピオンのマネジャーになった米倉会長。この時期、エディ・タウンゼント氏がトレーナーとしてヨネクラジムにいた事も大きかったでしょう。

イトウ先生とタウンゼント氏は、大変仲がよい親友です。ハワイでのビラフロア戦ではイトウ先生がコーチし、バトンタッチでタウンゼント氏へと受け継がれました。柴田選手も、石松選手も試合1ヶ月前から、タウンゼント氏宅へ泊り込んでいたそうです。

そして、ジムオープン時から行動を共にした”奇跡のトレーナー”松本清志(故人)先生の存在も見逃せませんね。

米倉会長、世界チャンピオンになった川島郭志選手と松本好二選手を伴い、ハワイのイトウ先生を訪ねて、カカアコ・ジムへ来てくれた事があります。イトウ先生は、また再会できるのを楽しみに待っておられます。

悲運のファイター・門田新一Ⅱ

| コメント(0)
”あれはホノルルの、ワイキキビーチ。希望に燃えていた孤独な野郎。四角いリングに全てを賭けて、男は誓う、今日はチャンピオン。今日はチャンピオン”

門田選手が作った詩です。正確かどうかはわかりませんが、こんな感じだったように思います。

世界タイトル挑戦の、入場前、門田選手のこの詩の朗読が流されたと記憶しています。凄くカッコいいなぁ〜と思い、未だに頭の中に入っています。何でも、チャンピオンになったら、レコードにするんだと言う話でした。

門田選手が、ハワイのリングでカルモナを破り、凱旋帰国しての第1戦は11月20日東京・日大講堂で、世界ランカー・ジミー・ロバートソン(米)を相手に行われました。

当時の日大講堂は世界戦に使用される会場であり、この試合はゴールデンタイムで全国放映されました。私は、世界戦も全部は放映されない静岡に住んでいましたが、この試合は生放映されました。

門田選手への期待度が、如何に大きかったかが伺い知れます。9月8日、ガッツ・石松選手はWBA王者R・デュランに挑戦してKO負けしたばかり。ハワイもしくは日本での試合をOKしている、WBC王者ゴンザレスの次の相手は、”カドタ”のはずだったのですが・・・。

ガッツ・石松選手がWBC王者になった事により、日本での世界挑戦を熱望する門田選手側のターゲットは、1階級上のS・ライト級へと向けられました。(WBA王者デュランは来日の意思無)

そこで選ばれたのが、WBA世界S・ライト級王者アントニオ・セルバンテス(コロンビア)。門田戦まで63戦58勝(27KO)5敗。29才。試合は、10月26日・日大講堂に9千人の観衆を集めて行われました。

1972年10月、アルフォンソ・フレイザー(パナマ)から奪ったタイトルを、1年半で7度防衛中、そのうち5度はKO防衛。”戦うチャンピオン”として高い評価を受けていました。(73年はWBAの年間最優秀選手)

「要は金次第、ファイトマネー12万5千ドルを下らないなら、いつどこででも防衛戦をやる」

全ては金次第、相手の強さは問題ではない。これはセルバンテスの試合後のコメントです。

「体の違いをつくずく感じた。1階級違うとこんなに違うのかねぇ〜」と三迫会長も、体力負けだと首をうなだれ、「運のない男だ」と続けた。(ボクシングマガジン誌より)

門田選手は1回から5回まで毎回ダウンを奪われ、8回3度のダウンを喫しKO負け。負けっぷりに、”世界を獲るんだ”という想いが伝わってくる、感動的な試合でした。

この試合後、門田選手は一気に下降線へと向かいます。再起してからは、以前のような試合は出来ず、打たれもろくもなり、以後3勝(3KO)2敗(2KO負け)1分と低迷し、76年ロスでの試合を最後に引退に踏み切りました。

一方のセルバンテスは、76年3月11度目の防衛戦で17才の伏兵ウィルフレッド・ベニテス(プエルトリコ)に判定負け、王座を失います。

しかし、77年6月ベニテス返上後のタイトル決定戦で勝ち、再び世界の王座に着きます。この年32才。このタイトルは、6度防衛。

ラストファイトは80年8月、あのアーロン・プライヤー(米)に初回ダウンを奪うも4回KO負けを喫し、王座転落。18年間のボクサー生活を終えましたが、史上に残る名チャンピオンでした。

”運の無い男”ウーン難しいですね。門田選手の世界タイトル挑戦と時を同じくして、10月18日”努力の人”花形 進 (横浜協栄)選手が、WBA世界フライ級王者・チャチャイ・チオノイ(タイ)の王座に挑戦。

実に5度目の世界挑戦の花形選手。王者の計量失格で、勝てば新チャンピオン、負けても次の決定戦に出場出来る権利を持って、リングに上がります。

どうにもやる気の見えない王者に対し、アウトボクシングでポイント連取の花形選手。6回レフェリーストップで、世界タイトルを手に入れました。

前年10月タ、イでチャチャイの王座に挑んだ時は、有利な予想にもかかわらず判定負け。この時は試合後、チャチャイがバッタリと倒れました。精根尽くしたと言う感じ。それだけに花形選手は、叩かれました。

1年後、大した実績を作り直した訳ではありませんが、再戦のチャンス。それも地元横浜開催。やめなくてよかった!デビュー11年、5度目の挑戦での悲願達成。

しかし、エルビト・サラバリア(比)を挑戦者に迎えた富山市での初防衛戦。完全に勝ち、どう間違っても引き分けがいいところ、だった試合でタイトルをあっけなく手放します。

この試合、ジャッジが採点を何度も書き直したりしていて(公開された)、後味悪かったです。試合場は大混乱。

タイトルは、マッチマーカー・ロッペ・サリエル氏の意のままに比国へと持ち去られました。河合会長も、サリエル氏の言いなりで、レフェリー、ジャッジを受け入れてしまった事、後悔していました。

一度立場が入れ替わるとボクサーとは難しいもので、再戦では勝てず、世界タイトル7度挑戦の記録を残して、花形選手も引退。

現役引退後も苦労しながら、職業を変え、今はボクシングジム会長。成功を収めています。

素晴らしい左ジャブを持っていた花形選手。弟子の菊井選手が、それを受け継いでいるように思います。また、門田選手の一撃必殺の右フックを受け継ぐ選手の出現にも、期待したいと思います。

悲運のファイター・門田新一

| コメント(0)
ハワイでのイトウ先生とのボクシング談義で必ず出てくるのが、三迫ジム所属だった現ファミリー・フォーラムジム会長・門田新一(恭明)選手の話。門田選手は、1972年から73年に掛けてハワイのリングで活躍しました。

1970年10月、敵地韓国でOPBFライト級王者・趙を3回KOで破り、OPBF王座強奪。この時代、韓国遠征の日本選手が勝つのはまれで、価値があります。韓国リングでは、日本人選手は”噛ませ”でした。

この王座は3度防衛。71年8月の2度目の防衛戦では、後の世界王者・ガッツ石松(ヨネクラ)選手を、8ラウンドKOで破ります。3度目の防衛戦は、同年11月ルディ・バロ(比国)と対戦。これも3ラウンドKOで、6連続KO勝ち。

このルディ・バロも、後年世界ランキング2位まで躍進。ムエタイ王者センサク・ムアンスリン(タイ)のデビュー戦の相手を務めます。国際式転向第1戦で世界2位を56秒でKOしたセンサクは、3戦目で世界王座を手にしました。

次の防衛戦に勝てば時の世界ライト級王者ケン・ブキャナン(英)への挑戦が確実視されていました。試合は、72年1月16日。当初予定されていた挑戦者がキャンセル。ピンチヒッターで名乗りを上げたのが、ガッツ石松選手。

そしてまさかの判定負け。傷心の門田選手は、心機一転海外に活路を求めます。一年後ハワイのリングで、前WBC世界ライト級王者のチャンゴ・カルモナ(メキシコ)と対戦するチャンスが与えられます。

下写真は、カルモナを破った思い出の試合場。NBC。

カルモナは世界タイトルこそ、あっという間に手放してしまいましたが、確か世界王座に付いた時、41勝(39KO)位だったと思います。殺人パンチャーとして、恐れられていました。

この試合に門田選手は、7回KO勝ち。実力で世界ランクを勝ち取り、日本へ凱旋帰国、7連勝5連続KOの勢いで世界タイトル挑戦しますが、マッチメークの関係でこの世界挑戦は、一階級上のS・ライト級。

この頃のライト級王者は、WBAロベルト・デュラン(パナマ)。WBCロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)。

ボクシングマガジン73年8月号に、”石松VS門田リング外のゴンザレス争奪戦”という記事があります。これは、ゴンザレスがWBCから指名試合を義務付けられた為、この時は一時お預け。

しかしガッツ・石松選手には、73年9月敵地パナマでWBA王者デュランへ挑戦するチャンスが与えられました。が、石松選手は、10回KOで破れます。

ゴンザレスが指名試合をクリアすると、次は門田選手に世界挑戦の順番が回ってくるはずでした。イトウ先生が言うのは、ここの所です。

ゴンザレスのマネジャー、ジャッキー・マッコイ(故人)とイトウ先生のボス、サム・一の瀬プロモーター(故人)は、長年の信頼ある間柄。石松選手側が交渉の窓口としていたのは、ジムOB元日本王者の清水 精氏。ゴンザレス側は、プロモーターのドン・チャージン。

清水氏とは、先月東京でお会いし食事しました。今でもイトウ先生と、親しくお付きあいされています。ドン・チャージン氏は、今もオスカー・デラホーヤ率いる、ゴールデンボーイプロモーションのアドバイザーを務めます。やはりサム・一の瀬氏とは盟友です。

WBC総会が東京で行われた時、イトウ先生、ドン&ロレイン・チャージン夫妻、日本人初の国際マッチメーカー瓦井孝房(故人)氏らと食事をご一緒させていただく機会がありました。

席上瓦井氏が、「ドンは日本人以上に日本人らしい男。義理、人情を重んじるめずらしい男」と、おっしゃられていたことが印象的です。

このいくつもの大興行を手掛けてきたメンバーには、”信頼関係”があります。門田選手にカルモナと対戦するチャンスを作ったのは、サム・一の瀬氏。勝った門田選手を、ゴンザレスの世界タイトルに挑戦させる腹ずもりだったと聞きます。

東京開催を希望する門田選手側の関係者が、一の瀬氏を飛び越え、マネジャーのジャッキー・マッコイに直接交渉。マッコイは、一の瀬氏に報告、相談します。

「サムさんは、ゴンザレスのファイトマネー聞いて、こちらの条件より良かったから、マッコイにやった方がいいよと言ったのよ、こっちは下りる言うて」

しかしマッコイは、「サムに任せる」という返事。長年の信頼関係、大事ですね。門田選手側と一の瀬氏の交渉は当然ながら不調。そこで、イトウ先生の弟子でもあった、ヨネクラジム米倉会長へとチャンスが回る事に。

挑戦者はガッツ・石松選手。9月WBA・デュラン挑戦失敗後、即WBC・ゴンザレスへの挑戦のチャンスがやって来ました。当初1月に予定されていた試合は、ゴンザレスが”毒クモに噛まれた為”4月に延期。

石松選手は、前哨戦をすることが出来ました。その後の結果は、皆さんご存知の通りです。「ゴンザレス、目方きつくて1月はコンデション作れなかったのよ」「マッコイの言う事も、聞かなくなっていたね」「米倉はサムさんに感謝しないといけないね」

石松選手、負けていたら何言われていたでしょうね。世界戦発表会に来た新聞記者は、2,3人と言われる”絶望的挑戦”だった訳ですが、勝ちました石松選手。一躍人生の勝利者に・・・。

門田選手の世界タイトル挑戦は、1階級上げざるを得なく、74年」10月のWBA世界S・ライト級王者アントニオ・セルバンテス(コロンビア)への、遅すぎた”水増し”挑戦は8度のダウンを奪われ、8回KO負け。

「ホントは”カドタ”だったのよ。かわいそうね」「ボクが直接”カドタ”に話してあげる」「ホントは世界チャンピオンよ」

亀田大毅・デビュー第2戦

| コメント(0)
17日、後楽園ホールは超満員2,500人の入り。亀田兄弟の人気は凄い。某ジムのマネジャー氏がポツリ。「どんないい試合だって、お客さんが入らなければしょうがない。凄いよ、これは」

試合は、亀田選手が6ラウンド打ちまくりましたが、サマート・ツインズジム(タイ・6勝6敗)は倒れず、1度のダウンもスコア出来ませんでした。

会場前、リング上で誰かが一曲やっています。「誰だあれは」「TBSの人みたいですよ」

これは、亀田選手がKO勝ちした場合の、リハーサル音合わせ。判定勝ちに終わり、今回歌は封印。

タイ人は、ロープを背にガードを固める待機戦法。一気に打ちかかる亀田選手、強烈な左ボディも入り、いつか捕まえられそうな感じでしたが・・・。

サマートは、インターバルでも椅子に座らず、やる気満々の様子。と、言っても”倒されない”事だけに集中している様子。左手を前に出して、打ってくるタイミングだけを見計って、ガード。

タイ人が手を出さないので亀田選手のパンチ、カウンターになりません。力ずくで、ねじ伏せようとしましたが、見えるパンチではなかなか倒れない。左ボディ強烈なんですが、サマートが良く頑張った印象が強い試合になりました。

亀田選手未だ17才。プロキャリアも僅か2戦。あれだけ手を出して、6ラウンド打ちまくれるスタミナを証明出来た事で、良かったんではないでしょうか。5月5日は、兄弟揃い踏みのようですね。

セミの8回戦には、昨年名護明彦選手を破って日本ランキング入りした、日本バンタム級8位・高吉勝之(5勝1KO)選手が、有木竜大(6勝7敗1分・輪島S)と対戦。

勤務先の電気設備工事会社、(有)ケーテックの小林社長をはじめとする、50人の応援団の、派手な声援を受けてリングに上がった高吉選手。のぼりに横断幕も、亀田選手に負けていません。

今日は、距離を掴むまで、たくさんジャブを打って、手数でストップする作戦でしたが、強引に強いパンチを当てに行きます。雰囲気的に早く行きたくなるのは解りますが・・・。

打ち終わり、足が揃った所に有木選手の小さな右ストレート。サウスポーには”これ”というパンチを合わされ、プロ初のダウン。

ダメージはありませんでしたが、コーナー下では、「何やってんだ、あいつ」「また、かっこつけやがって」「ダウンした位でちょうどいいよ」などと、会話。

第1ラウンド10−8で有木選手。コーナーへ帰った高吉選手に、大竹マネジャー「ジャブでやれよ」「大きいのばっかり狙ってんじゃない」と、ピシャリ。

第2ラウンドから高吉選手のジャブが、ビシバシと当たり始めます。が、まだその後のパンチが大きい。打ち終わりに打ってくる小さな右ストレート、怖いタイミングでしたね。

「お前あんなに大きいのばっかり打ってると、先が無いよ」「たくさん打って、たくさん当てて来い」「ジャブ、当ててからだよ」

第3ラウンドからは、やっと高吉選手ペース。ジャブからコンビネーションが当たり始めます。左ボディ、効いて来ました。本当は、右ストレートはずしたタイミングで打ちたい所ですが、プロでは未だ未完成なので、仕方なし。

第4ラウンド、ジャブから右フック、左ボディ・アッパーを2回。この左ボディは効きました。1回目は「ウッ」。2回目は「ウッー」と、有木選手の呻く声を耳にし、感触を得た高吉選手。

最後は左ボディ・アッパーから右フックを返して、有木選手を倒しました。腹が効きました。腹の強いのから、返しを早く。最後は、良いタイミングでした。有木選手も、日本ランクへの強い”執念”を感じさせた試合でした。

試合後は、祝勝会。小林社長から、勝利のステーキを振舞って貰い、ご機嫌の高吉選手。美味しそうですねぇ〜。

東京ドーム・ホテル内の”シズラー”。良く祝勝会に使います。応援団の方達も、すっかりボクシングに”はまって”来た様子。翌朝早いのにもかかわらず、いつもありがとうございます。

いつもたくさんの現場関係の方達が、応援に来てくれますが、この美女軍団も、電気屋さんだとか。小林社長、試合前は作業着だったのが、いつの間にかシャツ&ジャケットへ華麗な変身してました。

小林社長、高吉選手がダウンした時は、一瞬固まってしまったようです。「あれは、心臓に良くない」「ビックリさせんなよぉ〜、高吉」「社長いじめようとして、わざと倒れたんだろ」「そんな事は無いんですけどぉ〜」

こんな会話を聞いて、大竹マネジャー「こいつは、どんどん試合してキャリア積むしかない」「どんどん、社長をビックリさせてやれよ高吉」?(~~)

最後に一言。「アー、明日になったら電話(対戦申込み)いっぱい来るんだろうなぁ〜」「この人気者めが」・・・。

hawaii合宿の1日

| コメント(0)
朝7時を過ぎた頃起き出します。8時、ロードワークスタート。遅い選手は、少し前に出ます。ジムからアラモアナ・ビーチまでの往復と砂浜3往復で、約15キロ。

9時10分早い選手が帰ってきます。私はそれまでに、室内とジムの清掃、ゴミ出し、洗濯物の取り込み、そして朝食の下準備。

朝食は、パン、サラダ、スパムかポチギ・ソーセージ、ウィンナー・ソーセージと卵料理(毎日変えます)、果物等。たまに、スパムとご飯、のりに沢庵。

朝食後は、思い思いの所へ行きます。選手達はアラモアナ・ビーチでゆっくりするのが、”至福の時間”のようです。ワイキキまでは、バスで30分から40分。アラモアナまでは、15分から20分位でしょうか。

3時。皆帰って来て身支度開始。判で押したように3時30分には、イトウ先生が到着。時間差で練習開始。

私は、イトウ先生の指示通りにミットを持ち、指示をわかりやすく解説したり、動いて見せたり、うがい用の氷ボトルに水を足したり、結構忙しい。

選手達は、ミット打ちから壁バッグ打ち、大サンドバッグ、アッパーバッグ、人形バッグと、指示されたラウンドを休み無くこなします。

最後の関門は、腹筋強化。これが終わると、今日も終わりかという最後の峠です。

4時頃から、ジムオフィスでは、オーナーのナカオカさん達の”Miller”タイムが始まります。ライトビール飲みながら、選手達の動きを見つめる。これも”至福の時間”と言って良いでしょう。毎日、ジム出身のOB達がやって来ます。

5時から5時30分。練習が峠を越え、選手達が最後のストレッチに入った頃、私もオフィスに。仲間に入れてもらい、”至福の時間”を迎えます。といっても、日本語あまり通じないので、(なんとか)”通じる英語”の勉強になります。

6時から6時30分で、”Miller”タイムは終了。関係者が帰って行きます。その後、練習を終えてくつろいでいた選手達と買い物に行きます。(毎日ではありませんが)

洗濯を済ませ、皆で洗濯物を干します。ジム内に干しておくと、朝には乾いていますから便利。

7時30分から8時、ディナータイム。ライス、大盛りサラダは毎日。こちらの玉ねぎは、生で食べても大変美味しいので、助かります。トマト、セロリ、パプリカ、レンジでチンのブロッコリーもあり、サラダも変化つけています。

一番人気は、霜降り骨付きカルビの、にんにく、ゴマだれ付け。これ、ビックリするほど安く買えます。ボリュームたっぷりで1枚1ドル弱。皆、毎日これで良いと言います。坂田選手も、太鼓判でした。

2番人気が、レアで焼いた霜降りステーキ。ガーリック味が好まれますが、ソースにも変化をつけます。

3番人気が、豆腐ステーキ。ガーリック・チャーハンなんかでしょうか。とにかく、”毎日肉でいい”という、食生活。

笛木、円谷の両選手。日本に帰ってからの食生活のギャップに耐えられるかと、物価の安さに感心していました。今回は、飲み物代も入れて、米、野菜、肉等の食費は、1日10ドル以下でした。

そのおかげがどうか、厳しいトレーニングに耐えている自分への”ご褒美”とか言って、好きなピンクのグローブを購入したのが笛木選手。ご満悦です。

プレートランチは、もうBOB’S以外は買わない感じ。ハンバーグかヒバチ・チキンのミニプレート(ご飯1スクープ、マカロニサラダ付き約4ドル)を買って来て、別にご飯、サラダを追加して食べます。

これは、”ご飯がススム君”。美味い。最後の日、私は両方いっちゃいました。大満足。

食事中は、今日の練習の事、ボクシングのいろんな話等になります。たまにボクシングのビデオを見たり。幸い私の頭の中には、過去のボクシング・データがたくさん入っていますので、結構話を聞いてもらえるようです。と、勝手に思っています。

9時30分、遅くとも10時30分には選手達は、ベッドに入ります。今回は、笛木選手の”寝言”と”イビキ”かなりでした。これも宮下会長譲り?・・・(^^)

夜は、買い物以外、めったに出歩かない、良い子の生活です。疲れてそれどころじゃないのが、本音でしょうか。買い物帰り、暗くなった帰り道で円谷選手、「夜、歩くの久しぶり」と、感動するほど練習一途(~~)・・・の毎日です。

こうして、アッという間に時間は過ぎ、ハワイで暮らした実感を持って選手達は日本へ帰って行きます。

HAWAII スパー大会

| コメント(0)
15日、二人のアマボクサーを残して帰国しました。2選手は、毎日15キロのロードワーク(アラモアナ・ビーチの砂浜3往復)とジムワークで、厳しく鍛えらています。

写真は左から、帰国の為空港へ向かう直前の笛木、円谷のプロ選手と、ロードワークへ出発する小野木君、西山君です。

私が帰国した翌日、2選手は”Waimanalo District Park”で行われたスパー大会に出場しました。

対戦相手は、ブルーノ・エスカランテJr East Oafu B.C 所属、ゴールデン・グローブのハワイ代表選手で、サウスポー。西山君からの速報によると、この選手は大変な人気だったそうです。以下、西山君からの報告です。

小野木 
立ち上がり相手の素早い出入りに手こずるが、2Rにジャブを使いだしてリズムを掴む。右ストレートを巧打してブルーノを警戒させる場面も。終盤、ラッシュに捕まるも無事終了。

西山
通算4Rに入るブルーノだが疲れは見えず、間断無く突く右リードと、上下に打ち分ける左ストレートに守勢を強いられる。入り際に打ち返すが単発になりがちで、ペースをにぎれないままゴング。

小野木君は、サウスポーの笛木選手(フェザー級・4戦4KO)とスパーしていて、いい右ストレートを打っていましたので、イトウ先生も「大丈夫」と、自信持っていました。

二人とも、海外で見知らぬ外国人の強い選手と対戦する事で、良い経験と自信を持った事でしょう。今後の成長が楽しみです。両選手とも、試合にも出場の予定です。

ハワイで、スパー大会、試合に出場したいアマ、プロ選手は、今後、ハワイでのプロモート機会を増やしたいと考えていますので、ふるってご参加下さい。

円谷選手が手に持っているのは、破れてめくれた足の皮。この後のアルコール70%液での消毒では、その痛さに泣いていましたが、坂田選手もやっていたと告げると、痛いながらも続ける毎日でした。

声が伝えられないのは残念ですが、大きな声で叫んでました。「イッテェ〜」。

3人とも、登山道入口では足を引きずり痛々しい姿。急な登り階段を目の前にして、絶句したダイヤモンド・ヘッド登山。写真は、ポーズを決める小野木君と笛木選手。

笛木選手、真っ黒になりました。これも、毎日のロードワークの成果。ここで合宿すると、ワイキキよりアラモアナ派になるようです。なんでも、「落ち着くぅ〜ん」だとか。毎日2時間は、ビーチで過ごしていました。

昭和40年代中頃、イトウ先生宅に合宿していた面々です。凄いメンバーですが、わかるでしょうか。総勢14人。最大16人いた事があるそうです。

朝のロードワーク、ジムワーク開始は3時で門限は10時。この合間を縫って、皆それぞれ、思い思いの所へ出かけて行ったそうです。「一番長い人は、3年いた」

ハワイ合宿&西島選手、長嶋選手

| コメント(0)

昨日から、昨年ハワイでアマデビュー、1勝を挙げた西山君が合宿に合流。1ヶ月間滞在します。


入れ替わりに、円谷、笛木の両選手が本日(12日)帰国しました。両選手ともに、真っ黒。特に笛木選手は、スーパーのお姉さんにも、「ダーク」と言われるほどの、真っ黒さで、かなりご満悦です。


全身筋肉痛もひどい二人ですが、31日ハワイ入りして以来、約150キロ以上を走り抜き、連日の厳しいジムワークもやり遂げました。怪我もなく。良いキャンプでした。必ずまた来ると、帰国後の活躍を約束しました。


日曜日も、痛い足を引きずりながら”ダイヤモンドヘッド”登山。最高の眺めに、かなりの時間展望台にいました。持参したマジックで、勝手に記念のサイン。「ハワイは、つらいよ」 おのぎ かなえ。目一杯目立つ所に書いていました。


シャドーはやるは、なぜか腹筋を始めるは、はしゃぎ放題の笛木選手と小野木君。円谷選手、マジで怒っていました。日本人の恥だと。確かに笑われていました。 


昨日は、円谷選手がクリス、ランスの両アマ選手と6ラウンドのスパー。実はクリス、アラモアナCSの”ルイビトン”のドアガードマンも、短時間ですがやっていました。たまたま発見した合宿メンバー一同、「カッコいい」。黒服バッチリ決まっていました。


ランスは、大学生のハワイチャンピオン。強くて、上手いです。アマなのでスタミナは円谷選手とは違うので、1ラウンド交代でのタッグマッチスパーとなりました。


ウェートも円谷選手より重い二人、かなりの迫力です。ランスの右アッパー、もらったら”やばいな”と言う感じ。かなりの真剣モードの円谷選手、動きまくって交わしきりました。ランスは迫力ありました。これを交わしきった事は、自信になるでしょう。


高校卒業したての小野木君、かなり辛そうな毎日ですが、もう少し頑張れば、きっと体が慣れて来る事だと思います。今日は、疲れきって動けない様子。


西島洋介選手、吉田秀彦選手と戦うらしいですね。ボクシング以外の格闘技の事は、全くといて言っていいほど知りません。K-1とかプライドとか総合とかの、見出しの単語しか知りませんが、西島選手とは、少なからずかかわりを持った時代がありました。


日本ボクシング界に見切りをつけて、JBCに退職届を提出しロスに渡った西島選手ですが、ちょうどこの時期、私はある筋からの以来を受け、JBCライセンスを返上し、西島選手のトレード実現に向け、行動しました。ですから、非常に懐かしく思います。


電話では中々アポが取れなかったので、西島選手の父君の会社を調べ出し、お昼休みの頃を見計らい、会社の目の前から電話。ようやく、ご勤務先に訪問させて頂くことが出来ました。大変良い感じのお父さんでした。


単刀直入、用件を伝えました。契約金3千万円、ファイトマネー1千万円最低保障、ロスでの練習場、トレーナー、住居の無償提供、日本で試合をしたくなければ海外でOK。


この日からお父さんとは、よく飲みながらお話を聞いて頂きました。日本ボクシング界のルールや、海外事情等、色々と説明させてもらいました。最終的には、本人の意志に任せると言う事で、西島選手夫妻とも話をさせて頂きました。


結果は、現在あるがままですが、これは誰にも批判できるものでは有りません。現実の中で、西島選手が判断し、選び出した結論ですから、頑張ってほしいですね。個人的には、現実を直視した中での、結論は素晴らしいと思います。


ボクシングファンとしては、なぜ違う土俵に上がるのか疑問に思うのは当然ですが、そこは”武士の情”、男としての戦い振りを、見守ってあげてほしいものです。西島選手は、お金だけが”人生の価値”という考えをを持つ種類の人間ではありません。戦いぶりにきっと出ると思います。


長嶋選手の日本王座カムバック、良かったですね。伊藤選手が、勢いの差で有利と言う人もいましたが、対戦相手の中身が違うので、長嶋選手の気持ち一つだと思っていました。稲田選手のWBC暫定王座決定戦出場もあり、刺激になったのでしょう。


この長嶋選手のデビュー戦の相手は、私の選手が務めました。カステラ持って引退の挨拶に来た、金岡久史選手に、「テレビ出るから、もう一回やるか」と問うと、二つ返事で「じゃぁ、もう一回だけということで」


こんな感じで試合は決まりました。確か予定していた相手が出来なくなって、困っていた状況だったように思います。ファイトマネー等、条件も良く、試合はセミの6回戦でテレビ放映され、判定負け。ボクサー生活、なんの勲章も無く終わった金岡選手ですが、”健吾のデビュー戦の相手をした”事は、彼の大きな勲章です。


私も、倒され無いと直感してこの試合やらせました。しかし、第1ラウンドにダウン食らった時は、一瞬、「こいつに悪いことしちゃったかな」と、ヒヤリ。


金岡選手と飲むと、必ずこの話題になります。彼にとっては大きな勲章で、長嶋選手の息の長い活躍は、励みでもあります。


東京に帰ったら、長嶋選手の王座復帰祝いで飲みましょうと、金岡選手から電話が来て、また一杯。このカードを決めてくれた大竹マネジャーからは、「わざとダウンして、アップで映ろうと思ったんだろう」と、いつもひやかされても、まんざらではない金岡選手であります。

スパーリング

| コメント(0)

7日(ハワイ時間)、笛木、円谷の両選手がカカアコジムでスパーリング。4戦4KOの、フェザー級サウスポー笛木選手は、地元のスクールに通う、19才のアマチュア、サウスポーと3ラウンド。


ボクシングを始めて4年という事ですが、ガッツもあり技術もしっかりしていて、下手なプロより強い。インファイト、しつこかったです。笛木選手も感心していました。


円谷選手は、イラク戦争帰りの軍人、クリスと2ラウンドのスパー。ウェートの差があるので心配でしたが、かえってスピードの差があり、クリスの方がやりにくそうでした。


シャドー等を見ていて、軽く見ていたのかスパー後、「彼は、8ラウンドボクサー」と、教えると笑ってビックリしていました。「今日は、お腹が重くダメ」と、クリス。月曜日、「また、やろう」と、帰って行きました。


両選手とも、体はボロボロで、街を歩くのにも足を引きずり状態ですが、ロードワークのスピードはアップ。ジムワークでも、日本ではやらない事をやらされるので、上半身も痛い所だらけ。しかし、頑張っています。


後から来た小野木君も、既にボロボロ。夢遊病者のように走っています。プロの二人にはかなり差をつけられますが、今日は差も縮まってきました。「高吉さんを思い出して、がんばっています」とは、小野木君。


昨年8月の高吉選手は、もう本当にボロボロで、今でもハワイは嫌いらしいです。歩きながら「高吉さんよりは早いですかね」とか、言われてしまっています。でも、良く頑張った。


食事は、毎日私が作っていますが、朝は大盛サラダに、スパムやポチギ、玉子料理、パン。夕食は、ライスに大盛サラダ、ステーキ、骨付きカルビ焼き(皆のお気に入り)の毎日。たまにポキなんかも食べます。良く食べます、みんな。


ジュース代も含めて、ここまで1日10ドル位で食費全般は賄えています。ダイエットペプシ24本で、6ドル程度で、骨付きカルビ大6枚でも5、6ドルで買えます。サラダも日本のファミレスの3倍の量を毎夕食べて、健康的です。


今日はロードワーク後、ちょっと贅沢をして、カピオラニコーヒーショップのオックステールスープを食べに行ってきました。今回も10ドル50セント。値段はそのままでした。感想は、もちろん全員そろって「うわ、うめぇ〜」でした。


中広大悟選手の、世界タイトル挑戦が決まったようですが、挑戦資格むずかしいですね。しかも、日本タイトル挑戦で負けた後すぐにと云うのは、無理がある。昔は、そんな事が通用していた時代がありましたが、ファンは離れていきました。ボクシングの人気が、落ちてしまった原因になりました。


2連敗で世界タイトル挑戦したのは、沼田 剛 (新日本木村)選手、A、C連続フライ級王座挑戦の触沢選手。75年前後は、テレビ局の都合で番組優先の世界戦がたくさん組まれました。結果、ファンは弱い日本人挑戦者に愛想をつかし、離れていきました。


現場としては、やれば勝つ可能性がある以上やります。当然です。しかし、ファンあってのプロスポーツ。難しいですね、これは。






ハワイ合宿新メンバー到着

| コメント(0)

今日は快晴。とても良い天気で、やっとハワイらしくなりました。本日、3ヶ月滞在の小野木協栄(かなえ)君が、到着しました。入国審査でちょっと時間がかかったようですが、なんとかたどり着きました。


小野木君は、高校3年生だった昨年8月合宿に参加、卒業を期に長期滞在することになりました。こちらで、アマ試合出場の予定です。来週金曜日に、ワイマナロでスパーリング大会があるようなので、これにも出場の予定です。


昨年のハワイの印象がよっぽど強かったのか、すっかりハワイ好きになっている小野木君。到着後、さっそくワイキキで日光浴中。午後からは、厳しい練習です。


先行の二人、円谷、笛木の両選手は、足を引きずりながらも順調にロードワークをこなしています。亀田選手のビデオを見て、砂浜走ろうという事になり、アラモアナビーチの端から端まで、今日は3往復。やる気満々です。


「全身筋肉痛です」、二人が言っていますが、その昔、元OPBF、Sバンタム級王者の仲里 繁 選手がハワイキャンプに参加したての頃、大竹マネジャーによくこう言って、勘弁してもらおうとしていました。


しかし、「だからなんだ」の一言で取り合っては貰えず、必死に頑張った仲里選手でした。ハワイキャンプに参加して、仲里選手、確実に強くなったと思います。


先頃、モンシブールがKO負けましたが、仲里戦でのダメージを引きずっていたように思います。タフネスには自信があったようですが、あの試合以後、なんかモロくなりました。??仲里選手、あと1歩で世界王者でしたが、パンチの多彩さと、小さいパンチの差で、敗れてしまいました。?これも、時代の流れの中で、仕方ない事なのでしょうが、今更ながら残念です。


この仲里選手、ハワイキャンプを通じて知り合った坂田選手とは、兄弟の関係です。仲里選手を兄貴と慕う坂田選手、?二人はとっても仲が良いのです。


ロードワークは、圧倒的に坂田選手が速いのですが、2週間の内何回かは、仲里選手も仕掛けます。何時も独走の坂田選手。後ろは気にして走りません。そこで仲里選手、いないフリで、ソーッと後ろについて走り、ラストの直線で一気にトップを奪う。


突然前に現れた仲里選手にビックリの坂田選手も必死に追いすがりますが、仲里選手の作戦勝ち。ダッシュは、仲里選手が速い。「仲里、頭いいねぇ〜」と、大竹マネジャー。


こんなことをやりながら、兄弟分になった二人です。引退して直ぐに、東京に来た仲里選手。大竹マネジャーを、自ら食事に誘い、「今までありがとうございました」と、頭を下げたそうです。これからは、坂田選手に自分の分もがんばって欲しいと、後を託して。

ハワイ合宿スタート

| コメント(0)

3月31日金曜日(ハワイ時間)朝、ホノルル空港到着。小雨、気温20℃。


今回、一緒に出発したのは、ジャパンスポーツクラブ所属の円谷英一、笛木 良 の2選手。円谷選手は、5月4日、初の8回戦に出場予定のA級ボクサー。笛木選手は、今年のフェザー級新人王選にエントリー、4戦4KO勝ちのハードパンチャーです。


両選手ともに、初めてのハワイ。特に、円谷選手は海外旅行も始めての経験です。ところが、ついたとたんに雨、しかもよくよく話を聞いてみると、「1ヶ月、毎日雨」だとか、道行く人が傘をさしていたので、おかしいなとは思っていましたが、ハワイは天候不順が続いていたようです。


ジムへ到着。とたんに、バケツをひっくり返したような雨。ラジオでは、洪水警報発令で非難している人々がいるとか。凄い時に来てしまったものです。


しかし、幸いに午後遅くから天気はやや持ち直し、あと1日2日で天気が良くなる様子。ホット一安心。天気の事等、全く気にしていませんでした。


今日3日(月)は、最高に良い天気です。朝は、12キロのロードワーク。アラモアナまでの往復は変わらずですが、公園2周ではなく、ビーチの端から端まで、砂浜を2往復。これはきついでしょう。スタミナアップ間違いなし。


昨日は、イトウ先生に’プライムリブ’をご馳走になりました。やっぱりこれは、美味しい。


円谷、笛木両選手共に、今は休会している、沖ジムからの移籍組です。昭和40年代前半、イトウ先生宅に合宿していたのが、沖ジムの宮下会長。


食事の後、イトウ先生の自宅に立ち寄り、ここに宮下会長が合宿していた事を知らされた二人は、「すげぇ〜」と、大感激。合宿していた偉大な先輩達の名を告げると、さらにビックリでした。


「宮下、レフトフック強かったね」「でも、スタミナないのね」「なぜ、スタミナなかったんですか」「ウーン。僕、わからないね」「朝、起きないのよ宮下」「いびきもすごいよ」「でも、人気あったね」


等などと聞いて、笑いつつも、「さすが、宮下会長」と二人は感心しきりでした。


昨日、日曜日もロードワークした二人。すでに足は、かなりパンパン状態のようです。ジムワークも、今日から厳しくなります。ワイキキで別れた二人、ジムまで、無事に帰って来てくれれば良いですが。


円谷選手、筋肉ムキムキのイラク戦争帰りの、U.Sアーミーにスパーを申し込んでいました。大丈夫かなぁ〜。スパーしようと言った後、この間、イラクの戦争から帰ってきたばかりと聞かされて、急にビビッた感じの円谷選手。結果を、お楽しみに。


リング横の部屋での生活。「ウィラポンみたい」と、両選手は、なりきりで生活、練習を楽しんでいます。時間がたつのが、早いのか遅いのか。充実した時間を過ごしています。

このアーカイブについて

このページには、2006年4月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2006年3月です。

次のアーカイブは2006年5月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

2010年11月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
Powered by Movable Type 5.02