2006年7月アーカイブ

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苦労人王者・越本隆志(FUKUOKA)選手、初防衛なりませんでした。残念です。積年の夢を成し遂げた充実感から、次は守らなければいけない使命感への気持ちの切り替えは難しいものです。 今後、指導者としての活躍を期待します。お疲れ様でした。

目的意識、心の持続、気分の切り替え。過去の例から学ぶケースはたくさんあります。その中のひとつから串木野純也(進光)選手VSカーロス・エリオット(八戸帝拳)選手の試合に焦点を・・・。

実はその昔、私が東京へ来たての頃、串木野選手とは一緒に練習した事があります。当時九州・宮崎ジムに所属していた串木野選手、”元アマ違反、今宮崎の星”とマガジン詩にも紹介された頃だったと記憶しています。

一度プロでデビューしてから引退状態。ことのはずみでアマの試合に出場しなければいけない事になったが、「プロでやったことがあるとは言いずらくなてしまって」アマ出場。これがバレて再びプロのリングに還ってきたのであります。(~~)

練習場は当時渋谷にあった”ミカドジム”。串木野さん、ここでは海音寺 竜 (元日本フライ級ランカー)選手と仲がよく、練習帰りはいつも一緒。串木野さんも顔が怖い(失礼)(~~)が、海音寺さんはさらに怖い(失礼)(~~)。リングに上がれば「ヨッ、ムショ帰り」と声がかかり、通路では「コ、怖〜い」と観衆を楽しませていた。(~~)

私もこんな二人と帰る方向が一緒でした。ある時、東横線中目黒駅で3人一緒のところを見かけたバイト先のパートのおばさん。心配してくれました。「昨日悪い人につかまっていたでしょう。ああいうときは警察よ。私怖くて・・・」(~~)

さて、6度の日本・OPBFタイトル挑戦失敗を繰り返し、82年1月7度目の正直で日本王者に輝いた串木野選手。この時まで戦績、16勝(12KO)14敗。KO負けも6度を数える。まさに雑草。

しかしここから大変身、10連続KOを含む11度の防衛に成功。世界も見えてきた串木野選手へ指名挑戦者として挑戦して来たのが、6勝全KOの黒人ホープ、カーロス・エリオット選手。試合は、84年7月30日大阪で行われた。

この試合1回から5回目までは挑戦者がチャンピオンをめった打ち。5回には挑戦者がフィニッシュを狙ってラッシュ、グロッキーの串木野選手・・・。しかし6回が始まる前にはエリオット選手、明らかに疲れた表情・・・。張VS渡嘉敷戦と一緒だ。

6回開始早々から打って出るエリオット選手。ここで串木野選手の右ストレート1発。見事なカウンター。ダウン。これで勝負あった。再開後は右フック一発でロープにぶら下がり状態。ダメージとあきらかな打ち疲れ、心が折れた。柳VS輪島Ⅱの、柳斉斗と同じだ。

勝ったチャンピオンは「運が良かった。負けたら引退と覚悟を決めていた」しかし、本当は5回終了時点で心が折れかけていたらしい。「もういっぺん行き直せ」中村会長のハッパで、最後の力を振り絞った起死回生の一発。串木野選手、以前語っています「負けても負けてもチャンスを作ってくれた会長には感謝しきれない・・・」

流れを変える”最後の一言”聞ける選手も偉いが、この一言を持っているセコンドは仕事が出来るセコンドです。タイミングも難しい。中村会長と串木野選手の強い信頼、素晴らしいですね。

73年10月の龍 反町VSフラッシャー・石橋戦(下写真)も、まさにそっくり同じ展開。右ストレート・カウンター1発で決着。野口 恭 会長と反町選手のコンビもまた、強い信頼関係で結ばれていた。後に日本、OPBF王者となり世界タイトル決定戦にまで出場するエリオット選手も、幡野光男選手との2度に渡る激闘では、この時の経験を見事に生かしている。

最強挑戦者をKOし、次の防衛戦でもKO防衛。串木野選手も31才、「世界などおこがましいが、出来ることなら僕もやってみたい」この頃、超人気の”浪速のロッキー”赤井英和選手との対戦も取りざたされています。

ウェルター級。このクラスでの世界挑戦は難しい。串木野選手には待てる時間がなかった。世界戦は決まらぬまま、再び日本タイトル指名試合。試合間隔が7ヶ月開いた。気持ちは世界挑戦。こんな時はよくない。伏兵、尾崎富士夫(帝拳)選手に敗れる。リターンマッチも勝てず、グローブを壁につるした。

奇しくも串木野選手がキャリア晩年に対戦した、エリオット選手、尾崎選手は世界タイトル挑戦の”運”に恵まれる事に・・・。

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ランキング?負けても世界挑戦!

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負けても世界挑戦。日本人選手ですぐに思いつくのが沼田 剛 (新日本木村)選手。75年10月8日仙台市でWBC世界バンタム級タイトルマッチ、チャンピオン・ロドルフォ・マルチネス(メキシコ)対世界同級10位、沼田久美(新日本木村)が行われています。

”前哨戦2連敗の沼田が、勝つ可能性なきにしもあらず”。チャンピオン、38勝(32KO)3敗1分。挑戦者、14勝(4KO)3敗1分。しかし2連敗中と言う、ちょっと考えられないマッチメーク。沼田選手は、前年12月に行われた日本バンタム級王座決定戦を、引き分け、ポイント数の多さでベルトを巻くというラッキーな記録を残しています。

リング上の木村七郎会長の顔が、一瞬蒼白になったとあります。ワルインゲ・中山選手、岡部 強 選手と前哨戦2連敗となってしまった8月22日のリング上の事です。客席「沼田は世界のなんなのさ」、プロモーター「契約も終わっているし、仙台ではもう切符も売り出しているから、今さらやめられない」、マッチメーカー「いや、3度は負けない、保証するよ」。しかし、「それにしても、弱ったなあ〜」。


この試合の3年前にロスで、このマルチネスと対戦し、当時世界2位のマルチネスから、一度はダウンを奪った(判定負け)経験を持つ、ビーバー・梶本(松田)選手は、「左さえはずせば、沼田選手が勝つのは不可能じゃない気がします」と語っている。王者は4回KO宣言。その結果は、ポイントはかなり接近。きわどかったとだけしておきます

世界的選手ですぐに思いつくのは、ホセ・ピピノ・クエバス(メキシコ)。世界タイトル防衛11度、そのうち判定試合は一度だけの名王者も世界タイトル前哨戦では負けています。

76年6月2日、アンディ・”ザ・ホーク”・プライスとの1戦は10ラウンド完封されての判定負け。この敗戦で戦績は15勝(13KO)6敗。ちなみにデビュー戦も2回KO負けの記録が残っている。

そして世界タイトル挑戦は、敗戦のわずか1ヵ月後7月18日。絶対不利(当たり前ですね)の予想を裏切り、チャンピオン・」アンヘル・エスパーダを2回KO。タイトルを強奪、このとき18才7ヶ月。

以後は当たればKO勝ち。”当てるコツを覚えた”。「最初は誰でも殴られる。だけど辛抱していれば、殴れる選手になる。そこまで我慢できるかが問題」
と、大竹マネジャー。

ボクシングは”コツ”だと思います。選手それぞれに合った持ち味を生かし、コツを掴ませる。面白くなったら”勝手に考えます”。自分にとって一番大事な事だから・・・。

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総理大臣の靖国神社参拝も、公人、私人と問われて久しい現代。一般ファン以上にデータをよく知る者としての疑問点を公表したい。最近の例でわかりやすいのが佐々木基樹(協栄)選手の例でありますので、このクラスをよく見てみましょう。佐々木選手の負けに抗議するものではありません。あれは負けで仕方ない試合。

まずは7月24日発表の日本ランキングを見てください。JBCホームページはこちら。 1位・飯田選手、昨年10月ノーランカー相手に引き分け、今年は確認できる公式データ2勝15敗、7連敗中のタイ選手に4月4回KOで勝ったのみ。2位は佐々木選手に勝った飯田選手。WBAランクは入らず。

3位・山本選手はOPBFタイトル挑戦が決まっています。4位・松宮選手、昨年12月日本タイトル挑戦も2回KO負け。今年5月全く無名のタイ選手に10回判定勝ち。5位・長瀬選手、3月日本タイトル挑戦も7回TKO負け。

6位・小暮選手、日本タイトル挑戦が決まっています。7位・柏樹 宗 選手、昨年11月OPBFタイトル挑戦も1回KO負け。今年4月の再起戦もインドネシア選手に7回TKO負け。最後の勝利は05年5月、坂本選手との1戦。(出身地清水のジム所属選手、協栄ジムまでスパーに来て宿舎まで世話したので気になる。よい人間)

8位・中村選手、今年3月ランカーを破りランク・イン。(よく頑張ってる苦労人。会長もいい人だ)9位・小野寺選手、12戦全勝いまだ負け知らず。

10位・佐々木基樹選手、昨年11月当時無敗の現PABA王者・バハリに圧倒的判定勝ちで世界ランキング入り。昨年3月の日本タイトル挑戦試合ではきわどい0−2判定負け。今年3月、ノーランカー山岡選手との試合で2度ダウンを奪うも引き分け。当時、山岡選手はランクイン出来ず、現在は日本ウェルター級10位。(いいセンスしてます)そして、ノーランカー飯田選手に1−2、わずか1ポイント差の判定負け。

参考としてS・バンタム級ランキング・3位に酒井選手、8連勝するも今年2月日本タイトル挑戦で当時の王者・福原選手に8回TKO負け。タンカで運ばれたのが記憶に新しい。以後再起戦はしていない。福原選手2月酒井選手に勝ったが、6月山中選手との試合に敗れ今は5位。

ランキング作る方もむずかしい・・・。しかしその根拠は・・・。やむを得ず理由なくして試合間隔を空けない。下位選手からの対戦申し込みを逃避しない・・・。最近の状況から私が手にしているデータを基に公表しました。ぜひとも皆様のご意見、お聞かせください。
      
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亀田興毅VS”大和魂”

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いよいよ8月2日亀田興毅選手の世界タイトルマッチが開催される。テレビの放送枠は2時間半。一般地上波ではボクシング界始まって以来の長時間放送。試合の結果も期待したいが、テレビ視聴率も気になる。

協栄ジムの先輩、元世界フェザー級王者・西城正三選手は、無一文で渡ったアメリカで世界チャンピオンとなり王座を追われるまでの3年間で、約3億円を稼いだ。 嬉しいのは、プロ野球のスーパー・スター・ミスター”ジャイアンツ”長嶋茂雄選手の年俸が4千万円(推定)だった時代に、これだけ稼いだことであります。

西城選手は抜群の人気がありましたが、ボクシングの地位が高かったことが証明できる数字です。西城時代の少し前亀田選手の試合を放映する”TBS”が育て、作り上げた超人気王者が、元世界S・ライト級チャンピオン。”大和魂”藤猛(リキ)選手。

「勝ってもかぶっても、おをしめよ」「岡山のおばあちゃ〜ん」「ヤマトダマシイ」藤選手が世界タイトルを獲得したリング上でのコメントです。これは流行語になったほどです。もうひとつ「子供にうなぎを食べさせるためにファイトする」(~~)そのファイトぶりは”狂乱”と比喩された。

写真は世界王座を獲得したS・ロポポロ(伊)との1戦。いつ見てもすごい試合で、まさに”狂乱”そのもの。藤選手、生まれも育ちもハワイの日系3世。本名ポール・タケシ・フジイ。日本で海兵隊除隊後、エディ・タウンゼント氏を頼り、1964年プロ・デビュー。67年世界王座獲得時点での戦績は26勝(21KO)2敗。

この藤猛選手、世界タイトル獲得第1戦は”故郷”ハワイのリングで行われています。エディ氏(当時マネジャー)とハワイのサム・一の瀬プロモーターとの間で契約が交わされたこの試合。本当は世界タイトル挑戦の前哨戦として予定されてのが、後回しになったものです。

この試合開催はもめました。しかし、ハワイ州・コミッションに提出されていた契約書がものをいいます。アメリカ他諸外国ではボクシング・コミッションは、政府の管轄になっていることが多い。

東京開催をもくろむTBSも困り果てた。やり手の一の瀬氏。温情家ではありますが、ビジネスは厳しい。この試合のテレビ放映権をTBS以外の局に打診。テレビ・東京が高額で名乗りを上げ契約。しかし、ここまで藤選手を育て上げてきたのはTBS。最後は局上層部のトップ会談で、”仁義”に基ずく紳士協定が結ばれ、TBSが放映する事に決定。

次にもめたのは放映権料で、これが解決したのは何と試合開始1時間半前。「関係者の献身的努力の結果」とTBS・森 忠大ディレクター。試合は8月29日ホノルルで行われた。対戦相手は、前年KO負けを喫しているフェル・ペトランザ(比)。タイトル獲得第1戦が前年KO負けしている相手との再戦。”大和魂”ブームを巻き起こしている超人気選手・藤猛の凱旋試合。この試合ハワイでも人気を集めました。

会場(現在のNBC)は、入場人員8,100人。入場料売り上げ6万9千87ドル(約2,487万円)を記録し、プロモ−ター・サム・一の瀬氏を大喜びさせた。試合はあっけなく2回2分7秒、藤選手のKO勝ち。世界王者の実力・自信を見せ付けました。

続く初防衛戦、ノンタイトル戦3試合全てにKO勝利。”大和魂”ブームの立役者は、稼ぎまくった。テレビCM出演もしています。ペプシ・コーラに、永谷園。いずれも一流企業。いかに人気があったかがお分かりいただけると思います。長嶋選手ばかりを引き合いに出して申し訳ありませんが、この1年で長嶋選手の年俸にせまる稼ぎがあったと推定されています。

やっぱり野球選手や、サッカー選手に負けないくらい稼いでほしい、ボクシングの世界チャンピオンなんですから。(~~)ノンタイトル1試合の報酬が約700万円あった藤猛選手。凄い、今の時代ならどのくらいになるのかなァ。初防衛戦で4回かかった他は、全て2回で試合を終わらせている藤選手。効率もよすぎですね。(~~)

現在、藤猛氏は水戸市の、”水戸ボクシングスクール”で選手を指導されています。たまに協栄ジムまでスパーリングに選手を連れて来られます。水戸ボクシングスクールのH・Pはこちらです。

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ランダエダ公開スパー。報道されてるほど、悪くは無い。しっかり鋭さも見せている。何より試合前の”公開スパー”である。亀田選手はいつでも全力スパーを見せるので参考にはならないが、過去公開練習で調子良かった選手が、まさかの敗戦とか、本番では体動かずというケース、かなりあります。

「思った通り、いい選手だよ」大竹マネジャー、ランダエダが何をやりたいか、してくるか。その練習を見て大体の感じはつかんだ様子。本番に向けてしっかり調整しているようです。やる気ありありのランダエダ。パンチがある選手はやっぱり怖い。

「日本10位だよ佐々木、笑っちゃうよ」(~~)先日ノーランカー飯田幸司(ヨネクラ)選手にまさかの敗戦を喫した佐々木基樹選手。世界9位から日本10位 に一気に急降下。(~~)佐々木選手らしいといえば笑えますが、ランキングの作成基準もよくわかりませんね。(~~)

勝った飯田選手、WBAランキング には名前が見当たりません。日本ランキングは2位にランク・イン。僅か1ポイントがこれだけの違いになるボクシング。1ラウンドが重い。10−10。コイツがやっかいな存在だ。両者な〜んのアクションも無く終わった世界戦の第1ラウンドでさえ、10−9をつけるのが世界の採点基準なんですけどねェ。(~~)

さて、韓国でWBC世界L・フライ級王座を賭けた、張正九VS渡嘉敷の激闘が行われた同じ8月18日、9連敗を克服しWBA世界L・フライ級王座についたフランシスコ・キロス(ドミニカ) が初防衛戦を行っています。世界チャンピオンとはいえ、戦績10勝(4KO)10敗1分1NCは早いもの勝ちに見える。

そして新事実発見。キロス9連敗後の試合はノーコンテスト。次に対戦したのがサンチャゴ・カバレロ(ベネズエラ)。この名前、どっかで聞いたなァと頭に思い浮かべることが出来る人はボクシング通。(~~)

そのキャリアの晩年は協栄ジム所属、日本で山岡正規(元日本バンタム級王者)選手らと戦い。協栄ジム・トレーナーを長年勤め、今も日本で暮らすあのサンチャゴがキロスと試合していた。アミーゴ・サンチャゴ、よく見かけます大久保通りの”サイゼリア”・・・。(~~)

この時、20勝1分無敗のサンチャゴ。キロス6勝9敗の9連敗中。絶好の”咬ませ”。試合はベネズエラの首都カラカスで行われ、サンチャゴ10回判定勝ち。キロス、何と1NCをはさみ10連敗だった。凄い、凄すぎる。

おいしいチャンピオン・キロスへの挑戦者争いで勝ったのはビクトル・シェラ(パナマ)。何と17才。WBAランキング6位にランクされています。戦績10勝(6KO)1敗3分。試合は、パナマシティで行われた。

この試合、キロスが強かった。試合開始早々からダウンを奪い、2回2分58秒KO勝ち。6,000人の観衆を黙らせた。ファイトマネー13万ドルとある。凄い。勝てば稼げる。ようやく勝ち星が一つ先行したキロス。次は指名試合が義務付けられている。指名挑戦者は、ジョーイ・オリボ(米)。

しかし、キロスが勝利したのはこの夜が最後、オリボに王座を明け渡し再び”咬ませ”に戻ったキロス、5連敗でリングを去った。わかりやすい。6連勝、10連敗、4連勝、5連敗(1分、1NC含)。気分屋だったんだろうなァ、この選手。(~~)

大竹マネジャーがよく言います「きっかけ一つで選手は変わる」そしてもう一つ「気持一つで大化けするよ選手は・・・」注意深く見つめるのが、我々の仕事ですね。

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「張はあの試合で生き残ったから、あれだけ防衛出来たんでしょうね」「あの時、途中でスタイルチェンジ出来てればなァ」昨日の大竹マネジャーとの会話。
            
真夏の激闘は4回目が始まった。ガンガン前に出る事をやめない渡嘉敷選手。この回、王者は一時サウスポーにスイッチ。張のパンチはヒットしているが効かない。サウスポーにスイッチ。このパフォーマンスは疲れをごまかす為だろう。

5回目、張の疲労が激しい。ペース配分のない打ち合いに巻き込まれ、疲労している。この回王者はくっついて来た。渡嘉敷選手の動きは絶好調。相変わらず前に出る。そしてパンチが当たり始めた。連打、連打。張がクリンチの場面が目立って来た。

6回目、激しい打ち合いに終始。お互いパンチがヒットしあう。技術云々はもう関係ない。魂のぶつかり合いのような試合。7回、王者は疲れ果てた。渡嘉敷選手に疲労の色はない。元気。パンチのダメージもなし。顔もきれいだ。

しかし、気合が入りすぎパンチが大きい。もう少し小さく、1発でも小さいパンチ入れられたら、気持が折れてしまいそうな王者。大竹マネジャーが言う「あそこで、アウトボクシングに切り替えられたら。渡嘉敷はそれが出来る選手だった」

パンチが相手の体に触れれば、大声援で応えてくれる同胞達。この声援が後押しするかのように、止まりそうになっては手を出す王者。8回、ホールド連発の張正九がスリップ・ダウン。俄然、渡嘉敷選手のパンチが当たりだす。突進力の衰えない挑戦者と疲労困ぱいの世界王者。

チャンスがやって来た。王者のパンチに威力がなくなった。挑戦者が打ちまくっているさなか、突然の試合中断。張のグローブ・テープがはがれていた。それにしても、中断するべきタイミングではない。「レフェリー」!

9回、渡嘉敷選手元気に突進。張は本当にフラフラ。これならいける「倒せるぞ」王者を追い掛け回す挑戦者。チャンス。しかし、またもやグローブ・テープが・・・。露骨な時間稼ぎ。観衆は怒らない。我々だけが「何やってんだ。バカヤロー」ゆっくり、ゆっくり時間をかけてテープを巻きなおす。全くひどいもんだ。

再開後も挑戦者攻勢、王者のパンチは当たらなくなって来た。この回も半分を過ぎた頃、張が狂ったように突然手を出す。ローソクの火が消え去る最後のように・・・。現場ではそう見えた。良くある最後のヤケクソ反撃。これで、最後の力は尽きる。王者は自らそう感じとって最後の力をふりしぼったに違いない。「この回、終了ゴングまでは持たない」

突然の狂った連打にあわてた渡嘉敷選手。張は押すような右ストレート連発。効いてなどいない、ちょっと戸惑ったように見えたその刹那、レフェリーが割って入ると、突然王者の手を上げた。1分47秒。

続行不能なほどのダメージがある場合、カウント取らずにストップもありえるが、深刻なダメージなど何も無い。渡嘉敷選手はしっかり立っている。が、
勝者・張正九は、ストップと同時に崩れ落ちた。ローソクの火は消えた。

レフェリーの行為はともかく、今振り返っても素晴らしいファイトでした。この試合も、深夜中継だったなァ。試合後の張のコメント「私はギブ・アップ寸前だったが、多くのフンのために頑張った」この時世界王者・張正九21才。この試合で大きくなった。成長したと思います。それにしても、これが渡嘉敷選手のラスト・ファイトになろうとは思いもよらなかった・・・。

渡嘉敷ジムの山口真吾選手が世界タイトル挑戦した時、張正九氏が試合場に来てました。「渡嘉敷選手との試合、韓国で見たよ」と話しかけると、大変喜んで握手してくれたのが印象的です。

この時、協栄ジムで最後の調整をしていたWBC世界L・フライ級王者・崔堯三選手に”張正九VS大橋秀行Ⅱ”戦のビデオを流してあげたら、練習終わっても最後まで真剣に観てました。「あれで気合入ったんだろうなァ」と勝手に思っちゃってますど。(~~) ※協栄ジム2階は、練習中でもビデオが見れる。

ご意見、ご要望お待ちしてます。協栄ジム次の世界チャレンジャーは”喜友名朝博”選手。続く・・・。
            
     勝目 梓  ボクサー―渡嘉敷勝男にみる「男」の研究

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亀田興毅選手の世界タイトル戦まで、残すところ1週間余り。いよいよランダエダもやって来る。が、よく聞かれます「坂田選手は、どうなるの?」

WBA世界フライ級王者・ロレンソ・パーラ(ベネズエラ)へ挑戦する事2度。何れも勝てなかった坂田選手。しかし第1戦、2回目にして”アゴ”を骨折するアクシデントにかかわらず、最後まで王者を追い詰めたその姿に感動、心動かされた純粋なボクシングファンも数多い。下写真は(ワールド・ボクシング 04/8月号)

この日は、佐藤 修 選手のWBA世界フェザー級王者クリス・ジョン(インドネシア)挑戦とのWタイトル・マッチ。私がジョンのバンテージ立会いに行く時、聞こえて来た。「もういちゃってるよ。(アゴの事)よくやってるなァ。凄いよ」

「普通の人なら気絶してる」(高橋コミッション・ドクター)状態、”世界チャンピオンになるんだ”執念だけで戦った12ラウンド。最初は、「歯が折れただけだろ?」と大竹マネジャー。歯が折れるのも大変なんですけど。(~~)しかし、出血の凄さに信頼する高橋ドクターにたずねる。「アゴだよ、シゲちゃん」

試合終了後大竹マネジャーは判定を聞くまもなく、佐藤選手のバンテージを巻く為に控え室に走った。「坂田、勝ったよ」の言葉を残して・・・。

リングサイド。判定を聞いて怒ったのが、純粋で血気盛んな全日本パブリックジム・田中敏朗会長。「こんな判定あるか。坂田が勝ってるじゃないか」思ったことはストレートに口に出す熱血マンの田中会長。コミッション席に詰め寄ろうとするのを、周囲に止められた。先日も言ってました。「あれは坂田勝っていただろう」

上写真は現役時代の田中敏朗選手。アマ時代から強打で鳴らし、フライ級でありながらライト級の選手とも戦った。ヨネクラジム米倉会長は、同郷で明治大学の後輩。

試合後、垂れ下がった下あごを持ち上げながら佐藤選手の応援をした坂田選手。控え室には私と家族だけ。そこには戦い抜いた満足感だけが・・・。

傷ついた愛弟子に金平桂一郎会長は、人柄そのままにこう評した。「人間として尊敬します。私にできる事は、もう一度チャンスを作ってあげる事だけです」約束は実行された。パーラとのリベンジマッチが実現。結果については言うまでもない。

「もう一発同じパンチもらったら、タオル投げるつもりだった」大竹マネジャー。しかし、右アッパーもらわなかった。ここが坂田選手のよいところ。これはパーラ2戦目の前哨戦、児玉卓郎(岐阜ヨコゼキ)選手との一戦でも見せた。当時の私のリポートを振り返る。

”改めて児玉選手の右パンチの強さには、驚きと尊敬の念を抱いて言っていました。「あれもらったら、いっちゃってます」。1ラウンド、児玉選手が出した、ジャストタイミングの右ストレートをブロックした時に、そう感じたそうです。坂田選手と言うのは本当に素直な良い青年で、18日の試合後も医務室で児玉選手と顔を会わせると、心から「ありがとうございました」と挨拶。”

試合後、大竹マネジャーが「ランカーとしての力がある」と珍しくほめた児玉選手、現在は日本バンタム級4位にランクされています。2階級上の強打者相手に見事完封勝利を収めた坂田選手。ファイターとしての印象が強いが、アウト・ボックスも出来るんです。

坂田選手は高校卒業後協栄ジム入り、アルバイトを探すに当たり、大竹マネジャーから「どんな仕事が良いか」と聞かれ、「体を動かす仕事がいい」そこで大竹マネジャーの叔父が経営する水道設備工事の仕事に就き、プロデビューするまで約半年間、ここでアルバイト。朝8時には、都内近郊の建築現場で仕事が始まり、夕方5時までキッチリ仕事をして練習。

当時私の仕事も、坂田選手に手伝ってもらった事があります。毎日、池袋駅7時5分発の西武池袋線急行電車の、いつもの車両のいつもの席に、絶対に休む事無く、坂田選手はいた。他にも何人かの選手にアルバイトに来てもらいましたが、3日にいっぺんは腹が痛いの、頭が痛いので、遅刻、休みが絶えない。仕事を終えてジムに辿り着くのが、6時半近く。この繰り返しだった。

今、坂田選手は亀田選手の良さ、強さも認め、「亀田選手が来てくれたからこそ、自分にもチャンスが増える」素直にそう考え、信じて3度目の世界挑戦のチャンスを掴むべく備えています。

ジム内にも坂田選手のファンは多い。愚直なまでにひたむきなボクシングスタイル。まだ見知らぬ多くの人々にそのファイトを見せ、感動を与えられる日が来ることを願ってやみません。

         【坂田健史 ( 6 ) 】  【坂田健史 Burning Fist

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試合開始ゴングと共に、いきなり突進する渡嘉敷選手。「今日は行くからな。KOでしか勝てない。考えない」計量後の散歩ではリラックスそのもの。試合前の控え室では気合十分。”虎の目”になった。あとはやるだけ・・・。

若い頃朝方まで歌いまくっても、カッパ着て寝てロードワークに行く、雨の日は仕事場のビル階段を昇り降り。世界チャンピオンになっても一時は居候。「世界チャンピオンで居候してるヤツ、俺くらいだろうなァ」(~~)

世界チャンピオンとして、地方へ呼ばれスパーリングを披露。興行終了後はプロモーターが一席設ける。が、渡嘉敷選手、グローブをはずすと夜影にまぎれて直ぐにロードワークに行った。選手としての自覚、目標意識は素晴らしかった。やっぱり「睡眠第一、健康が一番の8時間睡眠」では、ダメですね。(~~)

1ラウンド開始早々から激しい打撃戦。王者・張正九も迎え撃つ。気負いから渡嘉敷選手の振りが大きい。空振りが多いがガンガン前に出る。王者のパンチは小さく正確でヒットしている。しかし展開は渡嘉敷選手の望む「技術なんていわせない打撃戦」の様相。とにかく始った。試合前の予言通り、ド付き合い。

1ラウンド終盤、赤コーナーに王者が詰まったと見るや、渡嘉敷選手猛ラッシュ。場内騒然。刹那、王者の左フック・カウンターが炸裂。渡嘉敷選手、こらえながらもしりもちを付く格好でダウン。デビュー以来初めて経験するカウント。

再開後、王者が猛攻、場内は大歓声で包まれ、回りの声も聞こえない。と、突然レフェリーが割って入った。エッ、ストップか。ゴングが鳴っていた。1ラウンド終了ゴング。大歓声がゴング音を消していた。タイミング的にはストップでもおかしくないほどであったと記憶している。寒気がする中、大観衆は喜びの余韻にひたっている。

チャンスと見た王者の連打は見事だった。打ってるところでモロに貰った左フック。これまでの試合で何度かいいパンチを貰っても、その度に鍛えぬいた足腰でダウンを拒否してきた渡嘉敷選手。ロードワークしてると、踏ん張れる。

2回目。どうするのか。迷わない、1ラウンドのダウンなどまるで気にせず、再び前に出る渡嘉敷選手。張のパンチが良く当たる。しかし、下がりながらのパンチ。打って出る渡嘉敷選手、空振りが多いが全て空振りする訳ではない。何発かはヒットし、張は後退する。が、パンチ当たるので手を出す。

良く4回戦の試合でありますが、一方がガチャガチャ行って疲れてしまうと、不思議ともう一方の選手も疲れてしまう展開。大きな試合でもこの形での番狂わせはいくつかあります。

番狂わせはなりまんでしたが、セレス・小林(国際)選手が世界王座に付く前の試合。ブル・ファイター秋田勝弘(協栄)選手を相手にした小林選手、消耗戦に巻き込まれました。最後は秋田選手の方にKOチャンスがあった展開で、判定はきわどく2−1。勝利の瞬間、小林選手リングにへたり込みました。

3回目、早くもチャンピオン張正九に疲れが見える。減量苦が噂されていた王者、真夏の戦い、いきなりの忙しい展開。ペースになって来た。渡嘉敷選手、相変わらず元気に前に出る。そしてパンチが当たり始める。観衆は静か。張の手数が減った。しかし、少しでも王者のパンチが”かする”と「ワァ〜」っと大歓声。「当たってないじゃないか」

だが、観衆にはそうは映らない。我等がヒーローが国を背負って戦っているんだ。ここは異国のリング。激しい戦いはクライマックスへ。続く・・・。        

?? ?? 勝目 梓
?ボクサー―渡嘉敷勝男にみる「男」の研究
 
 ?? 勝目 梓
?ボクサー―渡嘉敷勝男にみる「男」の研究







この書籍カバー写真、私が撮影しました。”ナンパ”した女の子と記念写真を撮らなきゃいけないと先輩から命を受け、渋谷にあった”ミドリヤ”で月賦購入。キャノン・オート・ボーイ。大活躍でした。

この写真、渡嘉敷選手大のお気に入りでレコードのジャッケット”男泣き乾杯”、”走れメロス”(~~)にも使っていました。これホントです。ジャケット無くなってしまったんですが、レコードは手元にあります。なぜだか歌詞まで覚えてしまっている自分が怖い。(~~)

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名城信夫(六島)選手、見事なTKO勝利でWBA世界S・フライ級王座を奪取。ハートあふれるいい試合だったらしいですね。おめでとうございます。詳しい試合記事はこちら→日刊スポーツ

これで日本ジム所属の世界チャンピオンは6人。史上初の記録である。しかもミニマム級、S・フライ級は日本のジム所属選手が王座を独占。30日には苦労人王者、WBC世界フェザー級チャンピオン越本隆志(FUKUOKA)選手の初防衛戦。8月2日には亀田興毅(協栄)選手が、WBA世界L・フライ級王座決定戦に挑む。世界戦が続く。

この上昇現象に合わせた様にJBCが今秋のPABA加盟を発用。今後、IBF、WBO等へも加盟していく事になると言う。詳しい記事はこちら→時事通信

ライセンス保持者は70年代の3倍。ボクサーの数は増え、底辺も拡がり、世界王者も量産状態。そしてPABA加盟。今後のボクシング界の動向が大いに気になるところです。

そしてなんと言っても話題の中心は亀田興毅選手。これまでボクシングを知らなかった、見なかったファン層が注目している。ほんの一部の事ではあるが、親子関係がおかしい今の時代。親が子を殺し、子が親を殺す。はてまた、見知らぬ小さな子供をあやめる少年等。こんな事件を聞くたびに心痛める良識人。なぜ・・・。歴史を振り返れば様々な要因が考えられますが、そのひとつには”教育”がある、と思います。

亀田3兄弟。小さな頃から”世界王者”を目指して親子”マン・ツー・マン”でのスパルタ練習=教育。他人に任せていない。親父に対し尊敬と信頼を持つ息子達。若い女性ファンのことはわかりませんが、(~~)こんな親子関係、生き方に興味を持った世の男性は数多いと思います。

昔、浜田 剛 (帝拳)選手が世界王者に付いた頃、そのサクセス・ストーリーが漫画になった。その時代、たまたま電車の中で居合わせた親子の会話が、今でも印象に残っている。漫画を手にお父さんが、小学生中学年位の息子に言ってました。「このおにいちゃんは、小さい頃からずっと世界チャンピオン目指してたんだぞ。すごいだろ」

ボクシング・ファンなのかはわかりませんが、小さな頃から夢を持ち、努力を続け、達成した事の凄さを、息子さんに伝えたかったのでしょう。まだ、世界チャンピオンが国民の代表である時代でありました。世界戦のリングに立つボクサーは、国を代表して戦っているんだ。自分達の分も戦っているんだ。ボクシングの世界タイトルマッチとは、そうしたものであったと思います。

ファン・ランダエダ(ベネズエラ、いよいよやって来ます。早い回でのKO勝ちが多いランダエダ。その左アッパーはきわめて危険。金平会長も、大竹マネジャーも良くわかっています。世間が言うほど、楽な相手じゃない事・・・。

新井田選手との試合は、ランダエダの勝ちでもおかしくなかったほどの接戦でした。今、世間では勝って当たり前、楽勝だと騒がれていますが、これがチームに伝染するのが怖い。詳しい記事はこちら→日刊スポーツ

前半KO勝ちが多いのは、カウンターが打ててパンチのある証拠。しかもミニマム級での事。1階級上げることは有利でしょう。この二人は噛み合います。最初から打ち合い。誰でも最初は元気ですから、(~~)左アッパーのカウンターが怖い。亀田選手のガード・スタイルからいっても・・・。

来週にはランダエダが見れる。見ればもっと良くわかります。その上で詳しく試合予測してみたいと思います。記者の皆さんも知らない、書けない部分お楽しみに・・・。

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暑い。とにかく暑い。東京から空路、釜山市の金海国際空港に到着。山縣孝行プロモーターの手配でタクシーに分乗。ところがこのタクシー、クーラー等付いていない。目的地、古都”慶州”まで約1時間半、古ぼけたタクシーはハイ・スピードで走り抜けた。

先代金平正紀会長を先頭に、総勢14、5人はいたでしょうか。渡嘉敷選手の実弟・勉氏と練習生・丸山君(16才)らとタクシーに乗り込む。到着後「わざわざ来てくれたんだから」と言って、山縣プロモーターがタクシー代を支払ってくれた。ありがたかったなぁ。これでいっぺんに山縣さんのファンになってしまいました。

宿泊するホテルは”マンハッタン・ホテル”。名前は立派だが、ビジネスホテルに毛が生えたような宿。ここには挑戦者・渡嘉敷勝男選手も宿泊している。噂によるとチャンピオン・張正九は、もの凄く立派なリゾート・ホテルに泊まっているらしい。(事実、そうだった)

試合は夏の真っ盛り、84年8月18日、慶州市からさらに車で約30分程かかる”浦項(ポハン)市の総合体育館で行われる。早い段階で契約を終えていた両者のタイトルマッチだが、韓国コミッションが世界王者の海外行きを善しとせず、4度の延期。揉めに揉めた末の韓国開催。

上写真は、慶州駅前での記念撮影。前年札幌でお世話になった柴田さん(右端)も応援にかけつけた。

私はこの年7月、大竹マネジャー、協栄ジム先輩・大坪勝幸氏らと初めてハワイに行きました。帰国後直ぐの韓国行き。良くお金があったものだと、今さらながら感心。この頃は、デパートで”ジャンボ餃子”の試食販売をしていた。

伊勢丹とか三越とかで、餃子の焼き方のノウガキをたれつつ、お客さんを引き付け一気に売る。まるで、大好きな”寅さん”の世界。「お前あれがあってるよ」いまだに大竹マネジャーから言われます。”銀座松屋”で二人でコンビ組んだ事もありました。結構、売ったなァ。(~~)

この試合に向け鼻ひげをたくわえた渡嘉敷選手。WBA王者として5度の王座防衛。世界王座を奪った試合、5度の防衛戦中2度は韓国人選手を下している実績から、韓国での渡嘉敷選手の知名度は高かった。もちろん、地元の英雄・張正九とは比べるべくもないが・・・。

渡嘉敷選手にとっては始めての海外試合、初めての12回戦制の世界タイトルマッチ。「KO以外考えない」この試合に対する決意は並々ならぬものがありました。今日も最初から行くだろうな、過去節目の試合は全て先手必勝で勝ち抜いてきた。写真は当日計量を終え、慶州の街を散歩。

21才のチャンピオンは好戦的なファイター。1発はないがとにかく良く手が出る。そのエネルギッシュな攻撃で、名王者イラリオ・サパタ(パナマ)をKOして世界王座に付いた。

ヘルマン・トーレス、ソット・チタラダと後の世界王者相手に防衛記録をのばし、これが4度目の防衛戦。韓国が生んだ”最高の世界チャンピオン”と評価され、抜群の人気を誇る張正九。

試合会場・浦項市体育館会場は長蛇の列。この時代、韓国の試合会場は自由席。入口で折りたたみ椅子を受け取り、好きなところで見る。つまりフロアの好きなところに自分で座席が設定できる仕組み。当然、早い者勝ち。実に合理的というか、大雑把と言うか・・・。(~~)

真新しい体育館は9000人の大観衆で埋まった。セミファイナルには、後にOPBF王者となり浜田 剛 (帝拳)選手にその王座を追われる事になる、ジョン・ジョン・パクイン(比)が出場し、明らかなホーム・タウン・デシジョンで敗れている。そういえば帰りのバス、一緒だったなァ。

「1ラウンドから行く。技術なんか関係ない。下がらない試合をする」悲壮な決意を心に秘めた渡嘉敷選手がリングに上がる。次いで、チャンピオン張正九が大歓声に包まれて入場。ここは異国。ほんの一握りにも満たない応援団がポツリといるだけだった。

1ラウンド開始のゴングが鳴る。いきなり行った。予想通り撃って行った。ガンガン前に出る。自分で決めた事をリングの上で、迷わず実行に移せる男”渡嘉敷勝男”。素晴らしい意思の強さ。猛暑の韓国リングで、死闘が始まった。

続く・・・。

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まさかの後半失速、不完全燃焼でマデラとの決着戦を終えた渡嘉敷選手。「目が死んでたよ」

試合後直ちに再起表明、まずはノンタイトル戦のリングに上がる事に、ここで対戦相手として抜擢されたのが、前年度の全日本フライ級新人王・榊原隆史(金子)選手。12勝(4O)無敗のホープ中のホープで、この時日本フライ級4位、長身のボクサー・タイプ。最近5試合で3KO勝ちと上昇中。

試合は84年3月9日後楽園ホール。この試合のマッチメークも大竹マネジャー。「いいカードだったろ、あの試合」世界タイトル挑戦2連続引き分け、その後のチャレンジも実らず世界のベルトに届かなかった元OPBFバンタム級王者・村田英次郎選手の引退式を飾るにふさわしい好カードで、ホールは超満員2,500人の観衆で埋まった。

良いカードを組めば自然とお客さんが入る。”ファンはボクシングを知っている”と表現されています。ありがたいですねファンの方達は。

グァム・キャンプで真っ黒に日焼けし精悍な渡嘉敷選手。この日はスピード、切れ共に申し分なく、絶好の仕上りだったと記憶しています。スピード豊な左ジャブが得意の榊原選手。しかし、渡嘉敷選手には当たらない。このジャブを殺された事によって、ペースは渡嘉敷選手へ傾いた。

久しぶりの10回戦。最初からハイペース。たくさん勝つタイプの渡嘉敷選手ではないが、5回後半にはチャンスを掴み、続く6回一気にフィニッシュ。この日は左フックが有効で、最初のダウンも左フック。詰めも見事でした。

渡嘉敷選手が世界でもまれた実力を示した1戦として、マガジン誌でも高く評価されています。辛口の矢尾板貞夫氏(元OPBFフライ級王者)も渡嘉敷選手はたくましくなった」と、珍しくほめています。

伊波選手との試合以来、1年8ヶ月ぶりののKO勝ち。渡嘉敷選手の戦歴の中でも記憶に残るベスト・ファイトでした。試合後早速WBC世界L・フライ級王者 張 正九(韓国)への挑戦が発表された。張側と交わしたこの時の契約では、東京開催となっていた。

今を去ること20年以上も前のボクシング界。ここでもボクシング再興がさけばれています。84年5月号マガジン誌に、リングサイド・クラブからと題し藤田進吾氏(故人)からのメッセージが掲載されています。”夢よ もう一度 関係者は一丸となって ボクシング再興の道をさぐれ”

上写真は、リンサイド・クラブの面々。「オイ、オイ音がしないよ」「何にもしてないけど、何となくいいなァ〜」「両方負けェ〜」絶妙のタイミングでの言葉、懐かしいですね。

この時すでに藤田氏(上写真)はボクシング観戦歴30年以上、海老原博幸選手 の試合を見るため、地球の裏側アルゼンチンまで観戦に出かけたほどで、好きな選手の試合ならどこへでも行くという方でした。

「本田 明 会長(先代帝拳ジム会長)が健在の頃、業界が一丸となっていたことを思い出す。・・・」「ボクシングを始めた、あの青春の情熱を思い出し、がんばってほしい」・・・。

上写真は世界フライ級王者ダド・マリノ(中央)、サム・一の瀬プロモーター(右)、スタンレー・イトウ先生を先導する本田 明 先代会長(左)。名古屋にて。

最後に「歴史は繰り返します。ボクシング隆盛の時代が再びやってくると信じてやみません。関係者は力を尽くしてその時代を築いて下さい」と結ばれています。

好カードはお客さんが入る。今も変わりません。たくさんの新しい試みも行われています。ファンの皆様、どうかあたたかくボクシングを応援してください。

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いよいよ12回。ラスト4回ここからポイント取るだろう、悪くてもイーブン以上には戦うはず。過去の世界タイトルマッチでも、終盤戦には強かった渡嘉敷選手。マガジン誌にも12回開始の時点で”タイトル奪回濃厚”と思われたとある。ところが・・・。

マデラが出てきたわけではない。どちらかというと渡嘉敷選手が失速したような感じ。12回以降、レフェリー・ハザード(米)は連続4ポイントマデラ。ジャッジ・オベセン(デンマーク)は14回までマデラにポイントを与えた。

「おい渡嘉敷何やってんだ。手を出せよ」山神ジム・山神会長のダミ声がやけに頭に残っています。協栄一門の古株として精一杯の応援をしてくれました。

しかし渡嘉敷選手、手が出ずポイントはひっくり返った。渡嘉敷選手、12回以降1ポイントも奪えず試合終了。ハザード144−142。オベセン145−143。レキナ(ベネズエラ)147−145。3−0でマデラの勝ち。流血もない、クリーンファイトは終わりました。

今回は足を使ったアウト・ボクシングが作戦のようでしが、本来「僕はガチガチのファイター。それで防衛してきた」との自負が渡嘉敷選手にはあった。全ては結果論だが、王者になってからの渡嘉敷選手の持ち味は、”どつき合いになったら絶対負けない”心にあったように思います。

何かポォ〜ッと過ぎてしまった終盤戦。渡嘉敷選手も本来”たくさん勝つ”選手ではない。鼻差、首差の勝負になら絶対負けないぞ。世界王者のプライドに掛けて。挑戦者では、この気持になれなかったのかなぁ。いずれにしても、気持の問題。マガジン誌も厳しい、”若さと気迫”を見せてほしかったとあります。

写真は試合終了後の渡嘉敷選手、福田先生の師弟コンビ。このコンビがこんな顔をしたのはこの試合だけ。うまいボクシングとどつき合い。ハートの出させ方は難しい。もちろん渡嘉敷選手本人がやらなければいけなかったが・・・。

試合後は直ぐに気分転換。心の奥はわからないが、一切外には出さず過ぎた事は忘れる。本当に気持の切り替え、早かった。この札幌の試合では、協栄札幌赤坂ジムの赤坂会長、福田先生の友人、柴田さんには大変お世話になりました。柴田さん、翌年韓国まで応援に来るほどの渡嘉敷ファンになってしまいました。

再起、「WBAメンドーサ会長からも、もう一度やってもいい」とは言われた様だが、この顔合わせ、さすがに5度目はやれないですね。ターゲットはWBC王者”韓国の鷹”張 正九に合わされる事に。

マデラは他の日本人挑戦者の格好のターゲットとされる事になった。しかしマデラ、渡嘉敷選手との3連戦後、しばしの休養。これが良かったのか悪かったのか、宿願達成で燃え尽きたのか、次の試合で敗れあっさりタイトルを手放します。

新王者はフランシスコ・キロス(ベネズエラ)。タイトル挑戦時点で、9勝(3KO)10敗1分1NCの記録。そして何と”9連敗”している。相手も強い選手ばかりで、これぞ本当の”咬ませ犬”。(~~)

世界を狙うホープ達の絶好の踏み台としてマッチメークされ続けて来たキロス。一時は6勝10敗になった。これは、”ちょうどいい相手”に見えますよねェ。(~~)とにかく戦い続け、前年敗れているオスカー・ボリバー(7連勝中)に8回KO勝ちして連敗街道脱出。

が、次の試合2敗1分の選手と引き分け。失礼ですが、笑わせてくれます。(~~)その後もさらに”咬ませ”としてチャンスに恵まれ、ベテラン世界ランカー、新鋭世界ランカーとの2連戦を勝利。

16連勝中のホープ、レイナルド・ベセラを下した星で世界ランキング1位に躍進。マデラ挑戦のチャンスを掴んだのでした。そして、84年5月ベネズエラで行われた世界王座チャレンジで、ダウンを跳ね返してマデラを9回逆転KO。咬ませの代表みたいなキロスが世界チャンピオンになってしまった。

「こんな選手がいたんだぞ」と今の選手達に話しても、信じてもらえないくらいの戦歴ですよね。(~~)しかしこの選手の事、ズッ〜と気になってました。何せあのマデラからタイトルを奪った訳ですから。渡嘉敷選手はもちろん、知らないだろうなぁ。(~~)

こんな事知ってると、ボクサーの考えそうな事、性格と照らし合わせてみれば大体わかります。ここからアップ・セットが始まるわけです。ちょっと数字のいい選手と対戦する時「俺が決めたんだから、お前は負けないよ」大竹マネジャーからこう言われたら、期待されているという事ですね。チャンスだと受け止めてほしい。

それにしても戦い続けながら、力を磨いていったキロス。壁にぶつかっている選手にはいいお手本です。少し負けが込むと休養。”強い”と思い込んでいる選手とはやりたがらない。数字で対戦相手を計る。「あんた、誰とやったら勝てるんですか。名前を言ってくれ」と、言いたくなります。

自分を信じて、先生を信じられる事が出来るなら、戦い続けた方が”未来”が開ける。私はそう信じます。連敗で悩んでいる選手の皆さん、胸に手を当ててよ〜く考えて見よう。9連敗しても世界王者になった選手がいる。まだこれからでしょう。さあ、練習だ!    続く・・・。

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全く悪夢としか言いようのない”王座転落”。世界タイトルマッチの前半であれほどの傷で、即ストップは今でも考えられない処置でした。「一度獲られた王座を取り返すのにどれだけ苦労する事か。あなたにはわからないでしょう」

WBAへの提訴が認められ渡嘉敷選手、4度目のマデラとの戦いに挑む事になりました。試合は、83年10月23日札幌のリング。悪夢からわずか3ヶ月ちょっと。マデラの傷治ってるのかなぁ。また同じ事にならなければよいが・・・。

札幌、渡嘉敷選手の実弟 勉 氏らと一緒に応援旅行に行きました。それにしても、今は焼き鳥店を営む 勉 氏がその後ボクサーになるとは夢にも思わなかった。兄貴と違って”打たれ脆かった” 勉 選手。兄弟でも違うもんだなぁと思ったものです。

しかしプロボクサーとしてリングに立った事は、彼の人生の中で輝いているはずです。渡嘉敷選手もしみじみ言ってました。「あの勉がプロになるなんて、それだけで嬉しいよ・・・」

お店は、炭火焼き鳥”鳥味”。江東区南砂1−4−14 蔵王ビル1Fで、電話03−5606−9669です。渡嘉敷氏も良く顔を出すそうですよ。”とりみ”なんですが、最初”とりあじ”と教えられました。ちょっと誰かは言えません。ボクサーですから仕方ない。(~~) 

この札幌のリング、前座では古口 哲 選手(古口ジム会長)が、日本ランカー古田圭吾(石橋)選手と対戦。煮え切らない戦いをしていた古口選手に、宮下トレーナー、「なにやっとんじゃ、われ〜」とビンタ1発。これが効いたのが古口選手、発奮の判定勝利を飾りました。

”ガチンコ”のはしりのようなビンタ1発。凄く印象に残っています。やっぱり気合は1発でビシッといかなけりゃぁ、ヒルマ先生。(~~)とにかく宮下先生、怖かった時代です。上写真は、若かりし宮下選手。写真で見るとやさしそうですね。(~~)


さて4度目の対戦はこれまでとは違い、前半渡嘉敷選手がポイント先行。マデラの傷は開かず、試合はまたも激戦。しかし、後半戦強いのが渡嘉敷選手。王座奪回間違いないと思いました。

リング下の山神ジム・山神会長も、「このまま行け、勝てるぞ」と激を飛ばした後半戦。12回が始まった。ここからなら絶対負けないのが渡嘉敷選手の持ち味だ・・・。

続く・・・

「もう自分に集中しとけ」控え室モニターで流れる、良き先輩佐々木基樹選手の戦いぶりを気にしている坂田選手へ、大竹マネジャーが厳しく一言。

「勝者、青コーナー・・・・」次ぎは自分の出番。ハッキリ言って人の事は気にしていられない。我々も考えない、結果が出てしまった事に対しては・・・。

メインの赤コーナーに上がってみて、その混乱振りは理解できた。赤コーナキャンバスは水浸し、うがい受けにはボトルがそのまま。飛び散った血の塊も・・・。大変な試合だったんだなぁと、理解する。早速リングを拭き、新たな勝負に挑む。滑ってもダウンですからねェ〜。(~~)

斉藤憲一VS児島芳生(明石)の8回戦。5回途中、ヒルマ先生から「ポイント大丈夫でしょうかねェ。心配なんですよ」とクエッション。ゾンビのようにガンガン前に出てくる児島選手。有効打は貰っていないが、その印象が心配。ジャッジ席を見ると、皆難しい顔をしている。(~~)

4、5回とやや後退気味の斉藤選手。「次、どやして行かせた方がいいな。スタミナあるのか」「大丈夫です」「だったら行かせろ」「ノウガキいいから行って来い。ポイント取って来い」「打ったらサイド、打ったらサイドの繰り返し。ミットだと思って打って来い」

続く7回も、”激しい”アドバイスに反応しポイント取ってきた斉藤選手。ラストラウンドを前に、「次、あの野郎ひっぱたいてやれ」「ひっぱたいて気合い入れてください」選手のほうから言って来た。これなら大丈夫。何回も気合入れてたなぁ、ヒルマ先生。一発でビシッと行かなきゃ(~~)

心配した採点も、染谷78-76 住吉79-76 山田79-75で3−0勝利。10戦全てが判定勝負。「斉藤と判定はセットです」も、そろそろ笑えない。(~~)

この試合斉藤選手の79,78は大いに理解できます。前には出てくる児島選手でしたが、ヒットが少なかった。しかし、迎え撃つ斉藤選手も、打っても音がしないパンチで、ヒルマ先生心配に。(~~)

城座治隆選手・1勝(1KO)2敗はF・Iジム年見口尊司選手・1勝と対戦。最初から最後まで激しい打撃戦を展開。結果は両者痛み分け、ドローとなりました。染谷38-38 山田39-38 浅尾38-39。見ていて気持のいい試合でした。これくらいやってくれるとヒルマ先生も嬉しいでしょう。

2連敗でもう後がない。その気迫は伝わってきました。大竹マネジャーも大変ほめて「もう一回アイツとやるか」「ハイ」「よ〜しわかった。直ぐ付けてやる。昨日はいい試合だった、頑張れよ」

「こういう気持がなきゃダメだよボクサーは」初めてほめられたかなぁ、城座選手。連敗で落ち込み気味だったチケット販売も復活の兆し。「今日は祭日で良かったです。次は、もっと来てくれるでしょう」

チーム○○(~~)の城座選手、今は一人になってしまったようですが、やり続ければ結果は付いて来るものです。次こそ勝利だ!

昨日の試合結果詳細はこちらを参照。 ←クリック


ラスト1日。ボクシングパンフレット・オークション。詳細は画像をクリックしてください。

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昨日のホール試合結果は以下のページに詳しく出ています。ジャッジの名前、スコアが出ているの凄くいいですね。今後の参考、勉強になります。(~~)
Yahooニュース ボクシング

佐々木選手、引退を示唆するような発言。試合後も元気なかった佐々木選手。佐々木選手らしい、スピードど回転の速いコンビネーション見られませんでした。

正直、「ボクシングが年寄りくさくなった」とは感じました。気持なのか体なのか・・・。ベストな状態で戦ったとは思うのですが。

付け方の難しい試合でした。下がってた分見栄えが悪いけど、小さなパンチも当てていた。ジャッジの住吉さん、97−96で飯田選手の勝ち。勝ち負けに文句はありませんが、3回イーブンのラウンドがあるという採点。10回のうち3回ですから約3割。3割打ったら一流が野球の世界。自信を持って、振り分けたスコア付けてほしいですね。

最近4回戦の試合でも、一部のジャッジは4ラウンド振り分ける傾向にあったので、変わって来たのかなと思っていましたが、チョット違う。これで勝敗変わってしまうわけですから、信念と責任を持って振り分けてほしい。佐々木選手、納得いかないとしたら”この部分”だけかなぁ。(~~)

佐々木選手の前に登場は、今年1月不敗の下田昭文(帝拳)選手を破りランクインした瀬藤幹人選手。現日本王者・山中大輔(白井・具志堅S)選手が日本ランカー時代に勝った事がある実力者。なぜかその後自然にランク落ちてしまいましたが・・・。(~~)

この日の対戦相手竹下隆之(角海老宝石)選手には、02年9月B級トーナメント予選で判定負けしており、リベンジが掛かった試合でした。

竹下選手も自信持って来ました。瀬藤選手のやりにくいようにやって来る。今日も力で粉砕してやろうという感じの瀬藤選手。「下で見てても(控え室モニター)大きかったよ」試合後の大竹マネジャーの言葉そのままに、パンチが大きかった。

リング下の金平会長も「大きいよ。大きい。くっつくな。自分のボクシングしろ!」怒ってましたねェ。(~~)ヒルマ先生、聞こえないふりかな、会長の方見なかった。(~~)

一度負けている相手に対し、今はランカーなんだと”力”を見せたいのはわかりますが、”力”だけでは瀬藤選手のボクシング、ダメなんです。ようやく5回、セコンドの言う事がわかってきたようで、手数が増え始めた。

続く6回。ようやくレフェリーストップを呼び込む。1発当てては、間をおき様子を見る。つまり狙ってる。動きながら回転の速いコンビネーション、上下の打ちわけが瀬藤選手の持ち味であると思います。

竹下戦をいれ、以後1勝4敗1分。名護選手にKOされ9ヶ月のブランクを余儀なくされながら山中選手を破り、再スタートも自然にランク落ち。これは納得いかなかったでしょう。しかし、これだけ裏街道経験して来ているんだから、これも”強み”。よ〜く考えて自分のボクシング、磨いてください。(~~)

ワールド・ボクシング8月号に特集されているレネVS浜田Ⅰ。この試合のパンフレットをオークション出品中です。ご興味がある方は、ぜひこちらをご覧下さい。

17日後楽園ホール。メイン登場の坂田健史(協栄)選手は、韓国フライ級2位・蠔基錫(べ・キソック)5勝(3KO)1分と対戦。

3回からは大竹マネジャーも、ゴーサイン。以後、打ちまくり無難な5回TKO勝利。鼻血を流しダメージの感じられる蠔基錫。最後は青コーナーからタオルが投げ込まれました。

敗れたとはいえ、蠔基錫。韓国スタイルの中にメキシカン・リズムを取り入れたいい動きしていました。まだ19才、今後の活躍が楽しみないい選手です。

試合後のドクターチェック。坂田選手、いつも通りに「ありがとうございました」と、頭を下げていました。ほんとに真面目でいい”ヤツ”です。対戦相手の蠔選手も、悪びれた様子なく挨拶返していました。気持ち良かったですね。

セミ登場の佐々木基樹選手。ハワイキャンプからやる気が感じられ、好試合を期待していましたが、まさかの敗戦・・・。

控え室モニターでの観戦でしたが、飯田幸司(ヨネクラ)選手10勝(3KO)4敗1分。試合開始からやる気満々、前へガンガン出て来ました。そして前の試合、山岡靖昌(広島三栄)戦で効いてしまった”左ボディ”、ウエート乗せて打ってきました。

佐々木選手も応戦、うまさで対抗しようとしましたが、下がった分見栄えが悪い。96ー95、96ー97、95ー96のスプリット・デシジョンでまさかの判定負け。WBC世界ライト級暫定王者・アルマンド・サンタクルス(米)への挑戦を熱望していたが、先を見すぎたのか足元をすくわれた結果に・・・。

昨年11月、無敗の世界ランカー・バハリ戦で見せた気迫、体の動きなかったですね。試合後の顔面も、打たれた後がくっきり残っていた。対戦相手は皆研究してきます。”勝って世界だと”。飯田選手の気迫に食われた感じ。残念です・・・。

ボクサーのピーク。心のピーク。体のピーク。マッチメークの難しさ感じます。この日、飯田選手は”勝つ”気持に優っていたと思います。今後の活躍に期待します。

夢破れても、”継承夢”坂田健史

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伊勢田 集 (いせだ あつむ)。元協栄ジム所属フライ級プロボクサー、3戦3勝。不運にも新人王戦を前にして”網膜剥離”で引退。この夏、東京を離れ故郷青森に帰る事になった。

デビュー前から大竹マネジャーがそのハートを見抜き、「やる気があるなら、面倒見てやる」で、伊勢田選手の本格的ボクシング生活が始まった。デビュー戦後ハワイキャンプ・メンバーにも抜擢されている。

「今まで一生懸命仕事してくれたのに何もしてやれなかったから、最後に坂田君のハワイキャンプ連れて行ってやってくれませんか。費用は私が持ちますから。まだ、本人には言ってないんです。現場の事、気にしちゃうんで・・・」

勤務先のケーテック・小林社長からの意外な申し出に驚いた。「そうか、田舎帰るのか・・・」「知らなかったなぁ」「まだ、誰にも言ってないんです」

坂田健史選手のスパーリング・パートナーも長い事務め、熱烈な坂田信者の一人である伊勢田選手。「もう一度、坂田君とハワイで走らせてあげたい」

今でも左目は絆創膏で覆われています。「光に当てた方がいいぞ」「そうすると目の焦点が合わなくなるんです」上写真は坂田、佐々木両選手と。生涯の想い出に残るハワイになったと思います。

仕事場でも人望の厚い伊勢田選手。ジム後輩からも慕われています。デビュー戦KO負け後、「この悔しさを忘れるな」と、腫れた左目の瞼にもう一つの目玉を書かれてしまった溝口ヒロキ選手。油性マジックだったから、翌朝は大変だったらしい。(~~)写真は仲良く二人で。

「坂田さんには、絶対世界チャンピオンになってもらいたい」「俺の分も・・・。」引退後は酔っ払うと、坂田選手への想いを語り、泣き出すのがいつものパターン。「坂田さんは・・・」

大竹マネジャー「伊勢田はかわいそうだよ」「まだやれるのに勝手にやめんなって言うんだ。中途半端にやめるなら最初からやらなければいい」(他の選手に対して)「伊勢田みたいなのがいるんだから・・・」

ボクシングの夢は、坂田選手が受け継いだ。一人の夢は、自分だけのものではなくなった。今後の人生も、チャレンジの心忘れず、新しい夢に向かって突き進む事を期待します。


只今発売中の”ワールドボクシング8月号”に、浜田 剛 (帝拳)選手が世界タイトル奪取した試合の特集が掲載されています。私はこの日、レネの控え室にいました。

単なる偶然ですが、この試合のパンフレットをオークション出品中です。ご興味がある方は、ぜひこちらをご覧下さい。

WBA世界フライ級王座挑戦、R・パーラ第2戦の終了ゴングが鳴った。レフェリーが青コーナーに歩み寄った時、目と目が合った。右手親指を立てて、勝ったよのポーズ。しかし判定は・・・。

2回目、アゴを折られながら戦ったパーラ第1戦。「人間として尊敬します」金平桂一郎会長は言った。ファンの気持も同じでしょう。坂田選手には坂田選手の持ち味がある。”折れない心”。これ程の武器はない。そして師弟の絆。

相手が誰であろうと一生懸命戦う坂田選手。17日(月)後楽園ホールのリングに登場します。自分らしい戦い方を望みます。カッコつけなくていいし、はったりかます必要もない。

亀田選手のようにたくさん勝てないけど、負けないボクシングが坂田選手の持ち味であると思います。

先代金平正紀会長の最後のアドバイス思い出して、自分のスタイル見せてもらえる事を期待します。あれからずっとやって来たはずです。こんな日が来る事を信じて・・・。

ボクシングファンの皆様ご声援、よろしくお願い申し上げます。
渡嘉敷選手が不運の世界王座転落をしたこの時期、83年8月号ボクシング・マガジン誌には興味深い試合がたくさんレポートされています。

人気絶頂の”浪速のロッキー”赤井英和(グリーンツダ)選手が、WBC世界S・ライト級王者ブルース・カリー(米)に挑戦したのは7月7日。赤井選手、7ラウンドKOを予言。「ズバリ、ラッキー7。アリのように嘘はつかない。負けることは考えた事もない」と豪語。

カリーは、クォーリー・フジのリングネームで日本のリングでも活躍。デビュー以来7連続KOのホープ杉谷 実 (協栄)選手を軽く一蹴した他、不倒王ライオン古山(笹崎)選手をもKOし、ファンをビックリさせました。この頃が一番強かったような気がします。

時の世界王者ウィルフレッド・ベニテス(プエルトリコ)との2連戦は、カリーにとっては不運な判定に泣かされた試合。しかしその後は泣かず飛ばず、トミー・ハーンズにも軽くKOされる等、いわば”咬ませ”役を務めていました。

数々の試練を乗り越え世界王者になっての日本リング。日本では三迫ジム所属で試合をしていたカリー。日本で試合をするに当たっては契約問題で揉めましたが、山縣孝行氏(故人)の男気で問題クリア。

世界戦前、電柱に登ってしまったり、その奇行が話題になったカリー。しかし、リングでは思う存分その経験を生かしたボクシング、見せてくれました。赤井選手にとっては、決して勝ち目のない試合ではありませんでした。が、結果は予言した7回に玉砕。予言通りにこの回勝負に出た根性、凄いです。

関西初の世界王者、WBA世界S・フライ級王者渡辺二郎(大阪帝拳)選手は、6月23日メキシコからの輸入選手、同級9位仙台・ラミレス(仙台)との4度目の防衛戦を行っています。

この試合、1ラウンド開始早々いきなり2度のダウンを渡辺選手が奪います。ラウンド終了間際には左グローブをキャンバスにタッチさせたラミレス。3ノックダウン。これで本当はKO勝ちだった渡辺選手。しかし、レフェリーはスリップの裁定。「コミッションは何のためにいるのかわからないじゃないか」吉井清・大阪帝拳ジム会長の試合後のコメントです。

前半戦、いつでも倒せる。倒せる気満々になってしまった渡辺選手。4回、9回とダウンを追加しますが、後半戦は倒しに行った”ツケ”が回って来ます。10回以降は追い詰められるハメになってしまいました。最終回はダウン寸前まで追い詰められる事に・・・。

そして判定は、レフェリー・デンキンは141−141のドロー。残り二人の中立国ジャッジが143−141。143−140で渡辺選手。ラウンドシステム採点が、このような結果を生む事になりました。ちなみにデンキン氏、1回目はラミレス7、最終回は渡辺8と付けています。

渡辺選手「いい勉強になった」その後の活躍で、これは見事に証明してくれました。クレバーでした渡辺選手。私は日本で生まれた世界王者の中で、その実力は一番の部類に入ると思っています。

そしてロベルト・デュラン(パナマ)。一時は無名選手に2連敗を喫し、もう終わった選手と見られていましたが、WBA世界S・ウェルター級王者デビー・ムーア(米)に挑戦したタイトルマッチで8回KO勝ち。世界の舞台に帰って来た。

この試合、左ジャブと左ボディが有効でした。ムーアの顔面はもうボコボコ。「ノー・マス」レナードとの対戦で不可解なストップ負けしたデュランに、世間は引退を迫ったらしい。が、雌伏を乗り越え見事に復活。

こんな大選手でもスランプがあった。歴史を顧みると、スランプは気の持ちようだけだったように思います。ア〜、後年来日したデュランに水道橋の焼肉屋さんでビールを注ぎ合い、一緒に焼肉つまんだ事、今でも信じられない思い出です。(~~)

続く・・・。
血と怒号の中でチャンピオン交代。日本のリング、世界タイトルマッチのリングでそれは起こった。”後味の悪さ、極めつけ”WBA世界L・フライ級タイトルマッチ、王者・渡嘉敷勝男選手と挑戦者・同級1位ルペ・マデラ(メキシコ)の3度目の対戦は、83年7月10日後楽園ホールに3,500人の観衆を集めて行われた。

渡嘉敷選手、初防衛戦できわどく勝利した相手、マデラとはこの年4月10日にも5度目の防衛戦で対戦。流血の激突はまたしてもきわどく、引き分け防衛。最終回の驚異的頑張りがタイトル防衛につながった。

それにしてもこれだけ激しい試合をした両者が3ヵ月後に再戦。両選手の体の丈夫さには感心するばかりです。特に渡嘉敷選手、15回戦の世界戦をズ〜ッと3ヶ月ローテーション。しかも15回きっちり戦って(~~)(伊波戦を除く)ですから丈夫です。これは普段の練習のたまもの。

この時WBAの世界戦は15回戦。日本で始めてWBC12回戦による世界タイトルマッチが行われたのは、この年7月”浪速のロッキー”赤井英和(グリーンツダ)選手が王者ブルース・カリー(米)に挑戦したWBC世界S・ライト級タイトルマッチでした。

15回戦と12回戦では戦い方が違ってきます。渡嘉敷選手、前半はいつもポイントを取られがち、しかし後半が強い。スタミナ、精神力で勝負。「坂田(健史・協栄)も15回戦、やらせてみたいなぁ」とは大竹マネジャー(~~)

試合はまたもや最初から激しい打撃戦。渡嘉敷選手も応戦するがポイントはマデラ。そして4回事件は起こった。めまぐるしい攻防のさなか偶然のバッティングが2度。2度目はマデラ、渡嘉敷選手に背を向ける。この時、レフェリーのコールは何もない。試合放棄ともとれる感じ・・・。

ややあってレフェリーが試合を停止、宮本コミッションドクターにマデラの傷を見せる。傷は額。特に激しい出血でもなく、目尻でもない。そして、世界戦にしてはあっけないほど早く試合終了。

直後、小島事務局長のアナウンス。「3回までに偶然によるバッティングで続行不可能になった場合は、WBAルールによりドロー」毅然たる口調でした。ドローでも王座防衛。すっきりしない表情で渡嘉敷選手、防衛成功のポーズ。

しかし修羅場はここから始まった。バッティングが起こったのは4回。3回を越えている、スーパーバイザーを交え、リング上が怪しくなる。ガードマンもリング・エプロンに駆け上がり警戒態勢。

再び小島事務局長「3回を過ぎてからの偶然のバッティングで続行不能の場合は、WBAルールに乗っ取り、それまでのポイントが勝っている方のTKO勝になります。したがって3回までのポイントが優っているマデラ選手の勝ち」声が震えていたの覚えてます。私は赤コーナーポストでこの騒動見守った。

一度出された判定が覆った。ありとあらゆる怒号が飛び交い、シートカバー、丸めたパンフレットがリングめがけて飛んできた。リング上は超険悪。セコンド、協会関係者が、小島事務局長に詰め寄る。リング下からもファンの激しい抗議が続く。

「小島さん、これはあなたのミスですよ!」「ドクターが見る前、マデラは背を向けてギブ・アップしたじゃないか」確かに試合放棄とも取れる態度でした。

ビデオを見るとわかりますが、4回マデラの傷を見る前に小島事務局長と宮本コミッションドクターが役員席でなにやらヒソヒソ話。これしっかり確認できます。写ってますから。ルール勘違いしたんですね。リングを降りても激しいやり取りが続いた夜でした。

この当時は偶然のバッティング・ルールが整備され始めた頃で、15回戦の3回以降のバッティングは、それまでのポイントで優る者がTKO勝とは、下に恐ろしいルールです。今ではだいぶ合理的になって来ました。

その昔は、理由の有無を問わず傷を負い、続行不能と判断されればその選手のTKO負け。無敵の世界ウェルターチャンピオン、ホセ・マンテキーヤ・ナポレス(メキシコ)が一度タイトルを手放したのも、自身の負傷によるストップ負けでした。

WBAのチャンピオンベルト。この騒動のさなか、誰かに持っていかれちゃいました。(~~)その後出てきたのかなぁ。リング上で事の成り行きを見守っていた渡嘉敷選手、気の毒でした。こんな事あると、人生観、変わってしまうでしょうね。しかし、気持の切り替えが早い渡嘉敷選手。この夜は”新宿2丁目”で、朝まで歌いまくり、悔しさを晴らした。(~~)

4度も世界戦のリングで対決したライバル、ルペ・マデラ。もうこの世にはいません。若くしてなくなりました。生前、渡嘉敷氏はTV番組の企画でメキシコまでマデラ選手を訪ね、再会を果たしたそうです。「元気で幸せそうだったのに」あれが今生の別れになるとは・・・。

30才にして世界王者になったマデラでしたが、渡嘉敷選手との戦いで消耗しつくしたのか、その王座は長く続きませんでした。戦績負け越しのフランシスコ・キロス(ドミニカ)にあっさりKOされタイトルを手放しました。負け越しの世界王者、あれから出てないですね。

続く・・・。
具志堅用高選手「ボクシングはハートだよ。半分以上は精神力の持ちようだ。練習でもリングでもね」

具志堅選手、試合に対する集中力、それは凄いものがありました。それでいてセコンドの指示も冷静に聞ける頭の良さ、動ける度胸があった。イトウ先生も、ジミン・アレクサンドルトレーナーも良く言います。「ボクサーは頭良くなきゃダメよ」

具志堅選手、虎の目を持っていた。世界ランカー・ゴメス・キーをノック・アウトした事で世界タイトル挑戦のリングへ上がった。

渡嘉敷勝男選手が入門してから世界王座へ着き、不運な王座転落、その後の王座奪回失敗、引退まで、私は身近で表も裏も見て来ている。札幌も韓国も行きました。渡嘉敷選手もまた虎の目を持っていた。世界ランカー・金 龍鉉をきわどく下し、世界タイトル挑戦のリングへ。

「前とは目が違ってたよ」マデラとの4戦目に敗れ、王座奪回失敗した渡嘉敷選手に素直な感想を述べた事があります。「昔は虎の目をしていた。あの気持ないと君は勝てないよ」

亀田興毅選手もまた虎の目を持っている。試合前しっかりと集中した気持を作る事が出来る。大きな試合のリングで、実力を発揮する事が出来るタイプであると思います。大竹マネジャー「たくさん世界戦の控え室も経験して来たが、亀田選手は同じ雰囲気を作る事が出来る。ここを一番買うね。具志堅さん、渡嘉敷と同じハート持ってるよ」

OPBFタイトルを奪取したワンミンチョークとの1戦。開始早々に見せた左カウンター、ほんとに素晴らしいパンチでした。あれは打てませんよ、そこいらのクラスは。ワンミンチョークもOPBF王者になりこれから稼ぐぞと、結構張り切っていたんですあの試合。試合終了後のセコンド「勝つ気でいたから悔しくて」と、怒ってました。

つい先日後楽園ホールで11戦11勝(9KO)05年全日本フライ級新人王・奈須勇樹(グリーンツダ)選手と対戦したワンミンチョーク。クリーン・ノックダウンも奪いましたが、2ポイントワンミンチョーク1人、1ポイント奈須選手が2人の1−2判定で敗れてしまいした。しかし奈須選手、顔面かなり腫れてましたね。ちょっと舐めたのかなぁ。まだまだやる気ですワンミンチョーク。

ワンミンチョーク戦後、試合間隔をおかずにキャリアを積んだ事は良いですね。ランダエダ、決して楽な相手とは思えませんが、世界のリングに上がっても”練習してきた事を出せるハート”が亀田選手にはある。生で、近くで見ていればこの”ハート”の事、先輩王者にもわかってもらえるはずです。

ランダエダは来日してからの状態次第ですが、武器は左アッパー。これ狙ってくるでしょう。間違いないです。背も高く、待機戦法のカウンター狙い。どう対処するのかは練習中でしょうから、成果が楽しみですね。

亀田興毅、未だ19才。こんなに練習しているボクサー、いないんじゃないかなぁ〜。この1年でもの凄く成長してる。この1年は、今後世界の舞台で戦い続ける為の土台作りをして来た訳です。長期的視野にたった選手作りをしている協栄ジム・金平桂一郎会長。けっして間違いじゃないと思いますが、いかがでしょうか。

金平会長、坂田、佐々木両選手のキャンプを体験したいと、若手、中年前(~~)の練習生までが自費でハワイ・キャンプに参加してきましたが、このメンバーの事もしっかりサポートしてくれました。

もし亀田選手が世界王者になれば、面白いカードが見れるようになりますよ。我々もそれを楽しみにしています。

3ヶ月毎に15回戦 渡嘉敷勝男Ⅱ

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”スーパー・スピリット”渡嘉敷選手のトランクスにいつもこの縫い取りがあった。ちなみに大竹マネジャーの命名で、大竹選手は”スーパー・コンバット”。アッ、”スーパー・ドライ”は好きですねぇ。(~~)

地位が人を育てる。渡嘉敷選手、強豪ルペ・マデラ(メキシコ)との初防衛戦に勝ち、次に迎えた相手は全日本新人王の先輩、伊波政春(カワイ)選手。82年7月7日、”七夕決戦”と銘打たれた蔵前国技館でのこの試合は、沖縄人同士の戦い。

予想は互角。自信では挑戦者に軍配と書かれています。一進一退の攻防のまま迎えた8回、渡嘉敷選手の放った”右アッパー”一発。このパンチが、全てを決めました。

よく立って来た伊波選手でしたが、足元はおぼつかずアッというまに2度のダウンを追加され、2分35秒渡嘉敷選手のKO勝。この右アッパー、渡嘉敷選手のボクシング生涯の中でも最高のパンチ。

非力と言われている渡嘉敷選手・15勝(2KO)1敗1分ですが、パンチはあった。が、力んでしまうので生かせなかったように思います。この頃は1年前と比べると格段に進歩してました。

「世界戦で自分の実力を10とすれば、3つ出せれば十分よ。残りの7はハートだよ」具志堅用高選手の言葉ですが、最近も世界戦のリングでハートが弱く、力を出せずに敗れ去るケース多いですね。もっとも、普通の試合でも同じですけどボクシングは・・・。

伊波選手、新人王の先輩として自信満々でした。18勝(4KO)1敗。渡嘉敷選手、初防衛戦での勝利を酷評されていた事もあり、「ボクはこの試合に賭けていた」そして「アドバイス通りに動けた」

ほんの一重の”ハートの差”だったと思います。真正面からの激突、それは激しい攻防戦でした。伊波選手はこの試合で全てを使い果たしてしまったかのように、続くWBCタイトル挑戦でもKO負け。一気に下降線を辿りました。

後年、ハワイのディスコで偶然伊波さんと遭遇する機会がありました。とってもいい人でした。

渡嘉敷選手、KO防衛はこの試合1度きりで、以後3ヶ月に1度のペースで15回戦を戦い続けます。たとえ歯を折られようとも(金成南戦)ローテーションは崩さずに。これは凄い事です。

歯を折られた金戦では「こんな痛い目に合わされて、負けてたまるかこのヤロー」と思ったそうですが、次の日行った歯医者さんでは痛くて泣いちゃったそうです。(~~)

宿敵となったルペ・マデラに、不運な王座明け渡しをするまで5度の防衛に成功。”カンムリワシ”にちなんで”ヤンバルクイナ”とキャッチフレーズも付きました。

不運な王座明け渡し。日本のリングで一度出された判定が覆された世界戦はこの試合だけではないかなぁ。とにかく揉めました。ドサクサでチャンピオンベルトも盗まれたくらいですから・・・。

続く・・・。
具志堅時代が続く協栄ジム。具志堅選手の存在は、日本チャンピオン、日本ランカーが何なのよ(~~)というくらい、それはまぶしく輝いていた。79年日本ボクシング年間掲載の”協栄ジム”広告があります。

この後もランカークラスの選手はゴロゴロ出て来ましたから凄い。現在のジムと比べれば、小さな道場でしたが、ここは雰囲気が良かった。やる気に満たされた者だけの空間。

やる気のある者は先輩達の持っているものをどんどん吸収し、成長する。そのスピードも速く、選手が育った。こういうのを”伝統”っていうんでしょうか。

たくさんよそのジムへも移って行きました。移った中から日本王者になった選手もいます。アマから優秀な選手もたくさん来て、ジム上の寮生活で好待遇でしたが、ここからは次の”具志堅選手”出ませんでした。やっぱりボクシングは、”心”も鍛えていかなければいけない。

下駄をからげて奴が来る。カラン・コローン・カラン・コロン・カラン。歌の文句じゃありませんが、タブタブの白衣に身を包み、元気よくジムへ来ていたのは渡嘉敷勝男選手でした。12時間労働(~~)の休みを縫ってのジム通い。

ジム入り当初から福田先生(現F・Iジム会長)とコンビを組みました。背の高さもピッタリはまり(~~)このコンビは快進撃を続けます。上は世界王座挑戦までのレコード。こちらも参考に

入門から3年で世界タイトル挑戦出来たのは、具志堅選手が王座を失った後のオプションを協栄ジムが握っていたからです。新人王戦を勝ち上がりましたが、日韓対抗戦で敗れ一歩後退。協栄ジムのWBA世界L・フライ級王座奪回は、9連勝中の同門・多田浩幸選手に最初のチャンスが与えられました。

写真は福田先生。当然ですが若い。(~~)厳しい先生でしたが、選手には人気がありました。

多田選手、OPBF王者・金 龍鉉、日本王者・伊波政春選手への連続挑戦は失敗。世界挑戦権を取る事が出来ず、苦肉の策で(~~)渡嘉敷選手の出番となったように私は感じます。

金 龍鉉戦前、「会長(先代)は行くなって言ってるけど、俺は最初から行くよ」先手必勝。当時の渡嘉敷選手はスタミナに不安があった。アッ、何にもなかった渡嘉敷選手の部屋に”宮本武蔵”の文庫本がありました。こんなの読むのかよ〜と思いましたが、読んでたのかなぁ。(~~)

先代会長はスタミナを考慮して前半セーブする作戦だったようですが、ノンタイトル戦、相手が若造と見たのか金も同じような事考えていたらしく(~~)、前半金が何もしない間に取ったポイントがモノをいって判定勝ち。世界2位の金を破った事で一気に世界ランク入り。先代会長から次の挑戦者として指名を受けました。

ボクシング素人から世界王座奪取まで3年。選手とトレーナー、二人の毎日の勝負が対戦相手をやっつけて来た。このコンビは凄い。世界挑戦の朝「お前負けると思ってるだろう。俺は勝つよ」と言い切った渡嘉敷選手。 

その練習は基本の繰り返し。しかし、デビュー当初の渡嘉敷選手は、持って生まれた気合の入ったガチガチの行け行けスタイル。新人王戦はこのガチャ、ガチャスタイルで勝ち上がった。

福島県会津若松市での新人王予選、出発の列車に乗り遅れあわや棄権かという事件もありました。(~~)「渡嘉敷が来ないよ〜」引率の上甲トレーナーからジムへ電話が入る。(~~)どうにか試合地にたどり着く事が出来、勝ちましたが集合に遅れちゃいけないですね。(~~)。

福田先生との基本練習の繰り返し。これが結果として出たのが、世界タイトルに挑戦した金 煥珍との試合。これまでのガチャガチャ・スタイル一変、基本通りのアウト・ボクシングを披露。

具志堅選手もそうでしたが、世界タイトル挑戦の場に於いて、渡嘉敷選手もまた生涯で一番の試合を見せた。それが出来るだけの”強いハート”も持っていたし、気持を鍛える練習してました。

先輩具志堅選手とのキャンプも、渡嘉敷選手を育てた大きな要素。ロードワークも、スパーも、常に”打倒具志堅”だった。(~~)渡嘉敷選手も最初からスタミナあった訳ではないです。努力すればああなれる良い見本だと思います。

基本の繰り返し。先代金平正紀会長からも、「ボクシング程基本が大事なスポーツはないんだよ」と聞かされました。イコール、素直な気持でしょうか。体裁だけの良い返事は見抜かれてしまうなぁ。(~~)

続く・・・。
具志堅選手が2度目の防衛に成功した1週間後、ラファエル・オルテガ(パナマ)の持つWBA世界フェザー級王座挑戦のチャンスを与えられたのが、フリッパー上原選手。

コティへの善戦を先代金平正紀会長に認められての世界再挑戦は、故郷沖縄のリング。オルテガの実績を考えると地の利で、十分勝機あり得ると予想されていましたが・・・。

「全て敗れた気持です」。ロスでデビューし、ダニー・ロペス(元世界王者)らをスパーではコロコロ倒していたという上原選手。興南高校出身で具志堅選手の直接の先輩に当たります。具志堅選手の高校時代の下宿先は、銭湯を経営していた上原選手の実家でした。

再計量で計量をパスしたチャンピオン、暑い試合会場。期待は高まりましたが1、4回にダウンを奪われ、具志堅選手の応援もむなしく敗れました。

このフリッパー上原選手の世界挑戦以後、具志堅選手の時代が続きます。これは皆さんご存知の通りですね。次に登場する世界チャレンジャーは、先に引退した実弟フリッパー選手の分も頑張っていた上原康恒選手

康恒選手がフリッパー選手敗戦後、3年以上の月日を耐え忍び、悲願の世界タイトルを奪取するのは82年8月の事でした。

私が上京したのが76年10月。ミカドジムに入りましたが、渋谷にあったミカドジム道場はこの年で閉鎖、協栄ジム内で一緒に練習していく事に。この時ミカドジムで一緒だった先輩には、水野久美(元日本1位)選手、須賀原 徹 (元日本2位)選手、杉谷 実 (元日本王者)等がいます。

先代金平正紀会長がミカドジムへ現れたのは、76年も年の暮れに迫った頃だったと記憶しています。「これが具志堅選手の会長か」凄い人なんだなぁと思いましたね。だってつい2ヶ月前は、田舎のTVの前で座って見ているだけの自分だった訳ですから・・・。例の調子で(~~)「君練習生、頑張ってね」と握手をしてもらったのが、とっても印象的です。

協栄ジムへ道場が切り換わる間、ファイティング原田氏が会長を務めていたトーア・ファイティングジムへ短い間練習に通ったことがあります。当時ここには福田洋二先生(現F・Iジム会長)がトレーナーとして睨みを効かしていました。(~~)

連続KO記録更新中の高橋 仁 選手なんかがいました。今にもまして恐ろしかった(~~)福田先生。スパーリング、腹で倒れると「ツー、スリーとかカウントが・・・」(~~)ずうとるびの山田隆夫さん、練習来てましたね。プロライセンスも取得。

私は当時勤務先の寮で一つ上の先輩と二人暮し、ボクシングの先輩でもあります。この人も厳しかったなぁ。一緒に何日か原田さんのジムへ通い、明日からは協栄へ行く事になった。

協栄ジムへ通って何日もたたないうちに先輩(田中さん)は、「やっぱり福田先生について行く」と言い残し、原田さんのジムへ移って行きました。が、運命とはなんとも皮肉でややすると福田先生がジムをやめられる事になり、今度は協栄ジムのトレーナーに・・・。

以後も田中さんは、ボクシングを続けた。原田会長にもずいぶんとかわいがられているようで、よく話を聞かせてもらった。そしてプロテスト。偶然にも一緒の日に受ける事に。

もちろん一緒に電車乗ってホールへ行きました。後輩と言う事であれこれ気も使ってもらって。そしてこれまた偶然が重なって実技、すなわちスパーで対戦することに。プロテスト。テストとはいえ、スパーは試合と変わらない雰囲気、実戦そのもの。”一つ屋根の下”でこうなるとは面白いもんです人生は。(~~)

パンチは貰わず結構打ち、田中さん鼻血出してました。スパー後原田会長も慰めている感じで・・・。一緒に住んでるなんて知るよしもなく、こいつら何で親しいのみたいな顔をして・・・。帰りの電車から、一晩明け、テスト結果がわかるまでの時間、何と長くて気まずかった事か・・・。

結果は二人揃って合格。一気に元気が甦った田中先輩。とたんに大口が戻りました。昨日は何だったのよ・・・。一緒に祝ってもらっちゃいましたけど。(~~)

大竹マネジャーとのお付き合いも、この77年からになります。「お前ちょっと来い」二人でコーヒー飲んだ事は一度もありませんけど・・・。(~~)

バスケット・ボールマンに挑む!

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ハワイキャンプの楽しみは食べる事。写真は、骨付きカルビ、ロース等焼肉食べ放題の店”カメリア”で、豪快に食べまくる選手達。ワイキキから程近い”マッカリー”にあります。

自然なポーズ?を取っている佐々木選手、わかりますか?(~~)

食後の散歩で溝口ヒロキ選手が、勇気を出して(~~)バスケット・ボールマンに挑戦。一時ではありますが、夜のワイキキの話題を独り占め!

大道芸人オンパレードの夜のワイキキ・メインストリート。大勢の見物人に囲まれた溝口選手、あまりに喜んでチップの大盤振る舞い。(~~)「払いすぎだよ」「弟子になりたいんじゃないのお前」「もう日本、帰って来なくていいよ」(~~)

上写真、坂田、佐々木の両選手はラスト・ラン終了と言う事でこの笑顔。おちゃらけの坂田選手は珍しい。(~~)アッ、まだ走ってる練習生の中村さんがいた。37才で4周16キロ。「冗談で4周って言ったのに」「まっ、いいか」(~~)「今日、午後便で帰るんですけど」「・・・すげェ〜・・・」
具志堅選手の2度目の防衛戦の相手は、リゴベルト・マルカノ(ベネズエラ)に決定。試合開催地も日本で話が付いていた。

ところが、「南米でやってくれ」急に気が変わったらしい。これを聞いた先代金平正紀会長、ハワイからプエルトリコへ飛び再交渉。3日間に渡って懸命の説得工作。この世界、今でも口約束が守られる義理堅い世界なのですが、結局は「欲が出たんだろう」

ようやく説得に成功した先代会長、ハワイに舞い戻ると具志堅選手2度目の防衛戦発表会を開催した。場所はレストラン”フラミンゴ”。この看板、ボクシング関係者には懐かしい。

この発表会には日本から取材に来ていた記者数名と、イトウ先生、サム・一の瀬プロモーターも出席。5月22日札幌・真駒内アイス・アリーナで試合が開催される事が発表された。そして先代会長は、同席していたサム・一の瀬氏について語っている。

要訳すると「1951年初めて世界チャンピオンのダド・マリノを連れてきた一の瀬氏。これを契機に日本にコミッション制度が生まれ、世界の仲間入りを果たす事が出来た事を考えると、日本にとって大恩人である。」

「以来、こんにちまで日本ボクシング界のため、陰になり日向になって協力、指導してくれた。その一の瀬氏がいるハワイで世界戦の発表会が出来、大変うれしい」写真は、イトウ先生、一の瀬氏との貴重な1枚。

リオスに負けているマルカノという事で、予想は具志堅選手有利。但しディフェンス面の強化が指摘されている。もっともこれは「10年間王座を守る」(先代会長)つもりなら・・・。

さて試合です。マルカノはリオスと違いきれいなボクサータイプで、きわめてオーソドックスな選手。そこで先代会長が与えた指示は「今日はパンチもらっちゃいけない。ポイントやっちゃいけない」勝ちに徹する為、試合運びを重視した作戦。これは採点メンバーと、対戦者のボクシングスタイルを考えての事ですね。

もっというと、触られたらポイント獲られる可能性があるから触らせるなという非常に難しい注文です。具志堅選手、行きたいところを我慢して戦いました。「自分のボクシングじゃないけど、会長の言う通りやれました」試合後のコメントです。

この試合も大差で問題ないと思われましたが、採点を聞いて冷や汗が・・・。森田 健 ジャッジ75−67具志堅。ベネズエラ人ジャッジは72−68マルカノ。最後のアメリカ人レフェリー、デンキン氏の採点は70ー69の僅か1ポイント差で具志堅。それも最終回ポイント獲ってです。逆だったら負けてた。(~~)

最近ホールの4回戦でも、40−37、37−40と極端に割れるケースがあります。40って完璧って事ですからね。昔の国際試合じゃないんだけどなぁ。(~~)

先代会長「ペンの動きを見て、レフェリーの付けてるポイントを読んでいた」正確にわかるわけじゃないけど、そのくらい努力していたという事ですね。私も、ジャッジ席のペンの動き見たりする事あります。”10”と”9”では当然動かし方が違いますからね。(~~)

圧倒的に勝っていると思われた最終回。「負けてるぞ、打っていけ」の指示で勝利にクリンチした形。なんとも大きな最終回の1ポイント。足でも滑ってたら・・・。ほんとに滑って負けてしまったのが、具志堅選手の1日前に世界王者になったロイヤル小林選手。

敵地ソウルでの初防衛戦、レフェリーとジャッジ日本人2人も採点していたんですが、滑ったダウン負け。くしくも1日違いで世界王座に上り詰めた二人、具志堅選手は13度防衛の最多防衛記録。小林選手は在位46日と日本人として最短名の世界王者在位記録。僅か1ポイントが、これ程好対照な記録につながるとは・・・。

終わってみれば”自由の身”になっていた具志堅選手。「これから具志堅の銀行通いがふえますよ」先代金平正紀会長も大きな仕事を終えて相好を崩しっぱなしだったようです。

”勝ちに徹して”オプション突破。選手とマネジャーが、それぞれやるべき仕事をやりました。そして次の試合から具志堅選手のKO防衛記録が始まり、具志堅時代の幕開けです。
見事にグスマンを倒した試合は、この年の年間最高試合に選ばれ、最軽量クラスL・フライ級を世間に認知させた功績は大きい。とにかく素晴らしい試合でした。

オプション契約、世界のリングではいまだにこの”オプション”があり、いきなり稼げる王者は少ない。具志堅選手も2つのオプション契約を握られていました。権利を有するのは元王者ハイメ・リオス(パナマ)のアルモディオ・イカサプロモーター。王者の相手、試合開催地を決める権利を持っている。

このイカサ氏がこれまで日本に連れてきた選手は、マルセル、アルゲリョ、ロペス、リオス(わかりますかぁ)と一流選手ばかり。イカサ氏、実力者ですね。

先代金平正紀会長はイカサ氏との交渉の末、初防衛戦の相手はハイメ・リオス。試合地は東京、日本武道館を決めた。もちろんイカサ氏に試合地東京を認めさせる、いくばくかの金銭は支払われる。

昔、WBC世界フェザー級王者柴田国明(ヨネクラ)選手が、このオプション契約による試合地を東京に持って来る為に、10万ドル(3600万円)支払った例もあるほどです。

ジョージ・フォアマンVSジョー・キング・ローマンの世界ヘビー級タイトルマッチ開催以来の日本武道館。ヘビー級の世界戦でさえ半分の入りだったこの会場に、最軽量級王者具志堅選手がどれだけお客さんを呼べるかが、一つの話題になっていますが、ここでも先代会長は強気一点張り。「具志堅ならやってくれる」

試合は77年1月30日、1万1千人の大観衆を集めて行われました。3ラウンド具志堅選手は不覚のダウンを喫しますが、その後はリオスを打ちのめし、判定で初防衛に成功しています。が、顔面はかなり腫れ上がりました。

リオスはもの凄くやりにくい選手。フットワークとローダッキングを駆使し、いきなりの右パンチでかく乱戦法でしたが、左ボディを打たれ後半動きが鈍くなりました。「これを打つ時、どうしても頭が・・・」

米国人レフェリー70-67、吉田勇作ジャッジ73−67で具志堅選手。しかし、パナマのジャッジは71-67でリオス。今ビデオで見てもポイントは問題ないと思いますが、ひどいもんですねぇ。(~~)

試合前使用グローブでひと悶着。チャンピオン側はメキシコ製を主張、挑戦者は日本製を希望。王者側の主張が認められたかと思いきや試合2時間半前の計量で、メキシコ製がウエート・オーバー”失格”になるハプニング。

一つめのオプション突破。「次は楽な相手とやらせてあげたい」と考えていた先代会長でしたが、相手を決める権利は日本側にない。試合後から早速、次へ向けてのビジネス戦が展開された。

そしてこの試合を実家でテレビ観戦していた渡嘉敷勝男選手が、打倒具志堅を心に誓う。「俺がやっつけてやる」高校1年の冬の事。「その為にはまず金貯めて、東京でボクシングをやろう」

何度かの失敗?を繰り返したあげく東京生活を開始。代々木駅近くに職を得ていた渡嘉敷選手。「オッ、近くにジムがあるじゃん」で入門したのが協栄ジム。バリバリのやんちゃスタイルが印象的だった。(~~)

2度目の世界挑戦が内定しているフリッパー上原選手と、兄康恒選手がキャンプを張るハワイへ具志堅選手も後から参加し始動開始。一方、先代金平正紀会長は、ハワイからプエルトリコへ飛んでいく羽目になる。

続く・・・。

ハワイでも人気・亀田兄弟

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アラモアナあたりのレンタルビデオ屋さんには、亀田興毅、大毅両選手の試合番組ビデオがあるらしい。今回の合宿にもビデオ持って行きましたが、「気になってもう借りちゃいました」

ハワイの子供達は7才からグローブを握る子達が多い。WBC世界L・フライ級王者ブライアン・ビロリアもそのうちの一人です。

今回クラブ全体でスパーにやって来たメンバーの中には小学生も多数。ハイスクール・ボーイのスパーが終了後、子供達同士のスパーが始まった。それもかなりの”ガチンコ”。そして技術もある。「凄いなぁ〜。お前らよりもうまいんじゃない吉住」「・・・。確かに・・・。」(~~)

年齢を聞くと皆10才〜12才。基本がしっかりしています。チームオーナーのYOSHIDAさん、優秀な子を日本へ行かせて見たいんだそうです。「いつでもいいですよ」日本のちびっ子選手達も、良い練習になるんではないでしょうか。ハワイでちびっ子スパー大会なんかやってみたいですね。

夢見ているのは明日のビロリアか。しかし、亀田兄弟の人気も高い。貼られているポスターを見ながら、盛んになにやら話してました。昨年、カカアコ・ジムでスパーを公開しているだけに、こちらの関係者の間でも評価は高い。

下は、スパー終了後合宿所内でくつろぐ坂田、佐々木両選手。娯楽はビデオ・DVD観賞しかありません。(~~)もっとも、それすら毎日見る時間が無いほど充実の毎日になってしまいます。

合宿所には、亡くなられたエディ・タウンゼントトレーナーの軌跡をたどった番組ビデオがおいてあります。イトウ先生もインタビューに答えられ、カカアコ・ジムが映し出されています。

「これ一人で見てたらやばいですよ。涙もろいんんですから」ジッと見いった後でこんな感想を述べる選手が多い。「エディさんがほしい」と言ったのは吉住選手。いつ見ても胸にジーンと来るビデオです。

大荒れ・エスカレラVS山辺Ⅰ

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2日は協栄ジム・萩原トレーナーの結婚式。大変いい披露宴でした。新婦のご尊父の心境を思うと心がぐっときます。手塩に掛けた選手をリングに送り出す会長、トレーナーも、及ばずながら同じ思いかと・・・。


途中、萩原選手が九州で時の日本フェザー級王者・越本隆志(FUKUOKA)選手に挑戦した時のビデオが流た。試合の模様が流され次いで判定の発表。1人目のジャッジは100−94でチャンピオン。「なんだ結構離れてるね」(~~)そして二人目は、「萩原」「エッ、こんなのあるの」「すごいねェ」(~~)そして3人目は小差で越本選手。達観した顔つきでリングを降りる萩原選手が印象的でした。


新婚旅行はハワイ。まじめな萩原先生、選手のことが気になってしょうがないとは思いますが、楽しんできてください。ハワイはいいところですよ。


そのハワイリングでデビューし活躍した選手の中にバズソー山辺選手がいます。練習生時代にハワイに渡り、同地でプロデビュー。一度日本ライト級の王座に就いた後、ローレンス・一ノ瀬氏(故人)がマネジャーに就任。ハワイで世界ランク入りを果たし、1階級下げて世界タイトル挑戦の機会が与えられた。


76年4月1日、奈良県橿原市に於いて奈良池田ジムのプロモートでこの試合は行われました。池田会長は、IBF日本を立ち上げたほどの情熱家。その時抱えていたホープ新垣 諭 選手には、自分で進路を決めるよう諭し、強制的参加は呼びかけていません。


縁あって、活動を再開したIBF日本のリングに飯泉健二選手が上がることになった時、スパー等協力したことがあります。飯泉選手の1回限りのカムバックのリングには、熱烈な支持者が全国から応援にかけつけ、感動的フィナーレでした。池田会長のご配慮で最前列で見させて頂きました。


さて山辺選手の挑む王者は、WBC世界S・フェザー級王者・アルフレッド・エスカレラ(プエルトリコ)。柴田国明選手を強烈なKOで下し王を奪っている。そしてこの試合、イトウ先生が山辺選手のトレーナーにつきました。山辺選手は、大変上手な戦い方をしたと選評されています。この試合のビデオをハワイに持って行きました。


試合は山辺選手が上体を振りながらボディ・アタック。エスカレラは右ストレート、アッパーのカウンターを狙う。空振りで場内が大きくざわめくほどの鋭いパンチ。それでも山辺選手は決定打をもらわず、上手に戦っていました。ボディが当たる。そしてエスカレラが弱ってきたかと思われた6ラウンド、試合は突然ストップされる。


「ノーノー」「ノー」ローレンス氏がぶ。騒ぎはここから始まった。この回終盤、エスカレラの連打、山辺選手は上体を振ってディフェンス。全部はずすまではいかないが、効いたと思えるパンチもない。ここで、プエルトリコ人レフェリー・ファルーが割って入る。誰も意味が分からないようなタイミングで・・・。


リングにはありとあらゆるものが投げ込まれ、ケガ人も出た。これほど混乱した世界戦はないほどの荒れよう。渡嘉敷VSマデラⅢも、コミッション席のルール勘違いで荒れたがこれほどではなかった。


「すごかったね、あの時は」イトウ先生も「あれは、ディフェンスしてたんですよ。パンチはもらってない」と珍しくムキになってインタビューに答えている。ちなみにレフェリーの採点は5回までイーブン。イトウ先生は「この試合チャンスあったね」と、今でも残念そう。

「エスカレラに試合を再開するよう説得する」コミッション席からこんなアナウンスが流れ、山辺選手はリング上でがんばった。かなりの時間が経過したが、試合再開などありえるはずはなく、混乱は続いた。


結局は主催者池田会長が動き、同地で両者の再選を行うという事で決着。この当時は立会人制度なかったんですね。殴られてガードマンが気絶とありますから、普通じゃない。ハワイのジム関係者もビックリしていました。

西城正三選手が世界タイトルを失って5年。上原兄弟、シゲ福山選手に継ぎ世界タイトル挑戦が決まったのが、具志堅用高選手。プロ入り僅か9戦目での世界タイトル挑戦は、1976年10月10日山梨県甲府市で行われることに決定。ちなみにこの試合のプロモートは、全日本パブリックジムの田中敏朗会長。


ボクシング・マガジン誌に”こわいもの知らず”具志堅の勝算と見出しに出ています。回りの空気は「挑戦はまだ早すぎる」というもの。しかし、具志堅選手は「負ける気がしない」と豪語。アマで高校王者、65戦の戦歴を持つ具志堅選手の、ここまでのプロ戦歴は以下の通り。


先代金平正紀会長、例の調子で「具志堅は100年に一人の選手。ケガさえなければ必ず勝てると思っている」と挑戦者をアピール。


TBSテレビ運動部長(当時)の 森 忠大氏「具志堅君の練習を始めてみたとき、私はファイティング原田、海老原博幸らに感じたインスピレーションを持った。きっと勝ってくれる」


以上3人のコメントを総括して、選手も選手なら周囲も周囲、なんと自信家ばかりが集まったものかと”きつい”表現の仕方をされている。(~~)



しかし、この二人には確固たる自信があった。近年、イトウ先生を交え 森 忠大氏と食事をご一緒させていただく機会に恵まれ、直接聞かせていただいたお話。


「どこで聞いたのか、内緒にしてたのによく調べてきたよ。誰も知らないはずだったのに」「ああいうところはマメだったなぁ」森氏は、虫垂炎を患い秘密入院していた。


「凄い選手がいるから見てください」先代会長は具志堅選手の練習を一目見てほしい一心で、手術後の森氏を直撃。「まだ痛くてねぇ。寝てるところで一生懸命しゃべるんだな。コイツは凄いと・・・」「もう、すぐに行きましょうだからねぇ」


その熱心さにほだされ「退院したらジムへ行くから」と約束させられた森氏。約束を守る為、退院後さっそく千駄ヶ谷の協栄ジムへ出向く。


そこで見た具志堅選手の練習。「一目見て、これは素晴らしい選手になると思いましたね。体はまだ小さかったけど・・・」これは、まだデビュー前の事です。


具志堅選手デビューから3年。この時L ・フライ級は、新設間もないクラスで最軽量ウエイト(当時)という事もあり、世間の認知を得るまでにはいたっていなかった。


「小さい選手でも、画面を通せばその良さを存分に伝えられると思った」と森氏。局内の大反対を押し切って、この試合を実現させたんだそうです。ボクシング史に残る名勝負を演じ、世界王座を奪取した具志堅選手。この乾坤一擲のチャンスをモノにし、世に出る事に・・・。


先代金平正紀会長と 森 忠大氏の選手を見抜く”力”とチャンスを与える”度胸”。そしてプレイヤーとして類まれな素質、闘争本能を持った具志堅選手。全ての歯車がうまく絡み合い、この試合は実現され、勝利し、新しい世界王者が誕生した。


ちなみにこの試合の1週間後、私は東京へ出てきました。その時の先生が競馬好き(~~)だったのでよく覚えていますが、この年の菊花賞をグリーン・グラスが勝った直後でした。(~~)高配当獲ってご機嫌でしたが、その後は聞いた事ありませんねぇ。(~~)


世界王者となった具志堅選手、次はオプションとの戦いが待っていました。2つのオプションをグスマンの前の王者、ハイメ・リオス(パナマ)側に押えられていた。


そして、ここでも先代金平会長は、絶妙の”読み”と”行動力”を見せる事に・・・。


続く・・・。


?


ハワイ合宿・スタミナの秘密

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ハワイで走る、スタミナアップ。心も鍛えられる。毎日どんなもん食べてんのかなぁ。坂田、佐々木両選手の食べっぷりをご覧下さい。

ハワイキャンプで一番のお気に入りはこのお店。場所はイリカイホテル近く。

16オンスの”プライム・リブ”。美味しいですこれ。特性のポン酢風味ソースが食欲をそそる。

いきなりガブリの佐々木選手。(~~)これはポーズです。食べるのに結構時間掛かります。それ程のビッグサイズ。

坂田選手も嬉しそうにトライ。デザートまでがっちりいきます。これも美味しそうです。

アッ、合宿所でもでっかいビーフ・ステーキ毎日です。サラダもボリューム一杯。これがまた泣けるほど安い。(~~)


こんなのが毎日です。ちなみに料理は私の係りです。(~~)

WBC世界フェザー級タイトル挑戦時の戦績27勝(20KO)10敗3分。71年9月最後の日本人対戦者、大島伸太郎(横浜協栄)選手に3回KO勝して以来、78年2月のラスト・ファイトまで日本人選手との対戦無し。

この大島戦以後、4連続KO負け。引き分けを挟みまた負け5連敗。しかも判定まで行ったのはこの2試合のみ。後は勝つも負けるも全てKO決着。連敗脱出後は8勝1敗。

ロスのリングでダニー・ロペス(米)を破り、アンダー・ドックが世界タイトル挑戦権を横取り。一躍スターダムにのし上がる。

しかし、当初3ヵ月後に約束されていた世界タイトル挑戦は延期に次ぐ延期。ロペス戦の勝利から1年10ヵ月後、ようやくその機会が与えられましたが、待たされすぎた。

74年9月のロペス戦の次は、75年5月日本のリングで5回KO勝。この翌月にも比国選手を5回KOに下す。しかし、またブランク。この年は僅かに2戦のみで、翌76年1月の試合が結果的に世界タイトル前哨戦となる。そしてこれがボクサー、シゲ福山最後の勝利に・・・。

念願の世界挑戦は76年7月16日後楽園ホール。前座では具志堅用高選手が世界タイトル前哨戦を行っています。

しかし、待たされすぎた。肉弾戦を得意とする福山選手。戦法はまさに”肉を切らせて骨を砕く”。したがって、ほんの少しのタイミング、カンのずれが致命傷になってしまう。

上り詰めるボクサーは、一気に行きます。あっという間にのし上がる。試合間隔があき、周りにチヤホヤされ、いい気持ちになってしまうと、過去の戦歴にあぐらをかいているだけの選手になってしまう。そういうのを見分けるのが良いマッチメークでしょう。アップ・セットはここから。

新人王でも温存され、シードされた、試合間隔が空いた選手がやられてしまうケースが例年多い。いい気持ちでいて、一度スキをつかれて敗れると転げ落ちるように勝てなくなってしまう選手、案外多いんです。

福山選手のデビット・コティ(ガーナ)への期待された世界挑戦は実にあっけなく終わった。

2回王者の右でダウンした挑戦者は、右足首を2箇所にわたって骨折するアクシデント。以後はもはや試合にならず3回21秒KO負け。翌日の新聞には、”ミス・マッチ”、”10年早かった挑戦”等の見出しが・・・。

海外で世界ランカーをKOで破り世界タイトル挑戦権を獲得した福山選手。試合の結果だけを見てあれこれ書かれるのは、プロである以上仕方ないにしても、ひどいもんですねぇ。(~~)

このコティを王座から引きずりおろしたのは、福山選手が挑戦権を奪い取った相手、ダニー・ロペス。76年11月福山選手の次の防衛戦での出来事。

自分が簡単に倒した福山選手にKOで敗れているロペス。コティにも王者の自信の裏に過信がめばえていたのかも・・・。オプション契約による再挑戦でも6回KO負け。すっかり自信をつけたロペスは、あのサルバドール・サンチェス(故人)に敗れるまで8度の防衛を重ねる名チャンピオンになる。

一方の福山選手はその後もロスのリングで元世界王者、バリバリの世界ランカーとばかり対戦し、78年2月のボビー・チャコン戦を最後に引退。リングキャリアのラストは6連続KO負けの記録が残った・・・。

ロペスは福山戦の次の試合も落としながら戦い続け、75年は5戦中4KO勝。76年も3つのKO勝を重ねての世界挑戦をものにした。

ひたむきにやり続ける事、大事ですね。選手の皆さん、悩んでいる暇は無い。確固たる夢があるならば・・・。


ハワイで買って来たボクシング用品です。


JORDAN BOXERS    NIKE SHOES    EVEALAST BAG GLOVES/RED     /BLACK

 


ハワイから帰国してみると、何か凄い事になっていますねぇ〜。これにはビックリです。

でも、ボクシングの歴史はアップ・セット。「勝った者が強いんだ」の繰り返しです。昨日までの戦績と戦う訳ではありません。その日その時の対戦相手に勝てばいい。

昔ある地方の興行へ私の選手を出場させました。戦績1勝5敗。対戦相手は地元出身の4勝4KO1敗の期待の星。これがセミ・ファイナル。

しかし、私の選手が勝ちました。パンチもスタミナも大した事ないのにKOで勝った。

帰り際、「勝敗は時の運」プロモートした地元会長から言われました。終わってみればこれしかありませんが、勝つ方法を見つけるんです。そしてやる。やらせて見せる。

ボクシングの勝負は”ノウガキ”通りには行かない要素が一杯です。違いますかねぇ〜。野球、相撲、サッカー、バスケット、将棋、囲碁等と違うのは、同じ対戦相手と戦う事はまずありえない、あっても3度、5度がいいところでしょう。勝負の性質が違う。

ボクシング通の皆さん。色んな持論をお持ちだとは思いますが、今一度過去を振り返り名選手といわれる王者のレコード・ブックをご覧になってみてはいかがでしょうか。

一発勝負に勝利し、自信を付けた事でロング・ランした選手。過信が仇となりすぐに”番狂わせ”を演じてしまった選手。全ては人間だからからではないでしょうか。

”強い者が勝つんじゃない、勝った者が強いんだ”。”弱者は強者に学び、強者は弱者に学ばない”。アップ・セット。だからボクシングは面白い。人間力も技術の内だから・・・。

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