大場政夫vs花形・因縁の訳・フライ級の歴史Ⅶ

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2度目の防衛戦を圧倒的強さで勝利したWBA世界フライ級チャンピオン大場政夫(帝拳)選手。12月発表のWBAランキングは1位オーランド・アモレス(パナマ)、2位ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)、3位花形 進 (横浜協栄)。

3人目の挑戦者に選ばれたのは花形 進 選手。1968年9月2日、初の10回戦に挑んだ新鋭大場政夫選手に花形選手は判定勝ち。最終ラウンド、打ち勝ったとある。


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3年先輩の意地を見せている。だが、「コイツはきっと将来出て来るに違いない」と、予感している。

”因縁の再戦”

試合は1972年3月4日、日大講堂と決まった。チャンピオンはノンタイトル戦なしで試合に挑む。調印式でも互いにソッポを向きあったが、報道陣に促されようやくこのポーズ。



戦前から二人は、同じ湯河原カントリー・クラブをキャンプ地として来ている。当然バッティングする事になる。

「俺の方がキャンプ地にしたのは早い」(花形)

「予約したのはこっちが先だ」(大場)

声もかけないどころか、視線も合わせない。互いに無視。



花形選手は1969年6月19日、ロスのリングで時のWBC世界フライ級王者アラクラン・トーレス(メキシコ)を判定に降す金星を挙げているが、この試合、最初に話が来たのは大場選手の方だった。

10回戦5度経験したばかりの大場選手側は、時期尚早としてこの話を断っている。もちろん、大場選手自身はやる気であったが・・・。

この時、大場選手が日本フライ級1位、花形選手は3位。金星を挙げた花形選手は、大場選手を飛び越え、一足先に世界王座挑戦のチャンスを掴んでいる。



1970年、大場選手がWBA王者ベルクレックへの挑戦を実現した時、同じ日本TV系列の花形選手のWBC王座挑戦も同時進行で交渉されていて、河合会長はバンコクまで飛び、正式契約するばかりとなっていた。

WBC王者はチャチャイ・チオノイ(タイ)。今時のようにダブル・タイトルマッチという構想は存在しない。

大場を取るか花形を取るかで、日本TVは大場選手選手を選んだ。結果、大場選手はWBA王座を掴み、チャチャイは、あっけなく2回でタイトルを手放した。

花形選手もこの年、後に大場選手に挑戦する世界ランカー・カバネラを降している。

「あの時、挑戦できていれば・・・」

おおいにそんな感情はあったろうと思います。

こんな事から、互いに面白くないモヤモヤした感情は芽生えたのだろう。

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しかし、因縁はまだまだ続く。1971年4月30日、花形選手は準備期間僅か3週間で、WBC王者エルビト・サラバリア(比)挑戦の為、マニラに飛ぶ。チャンスに対し迷わないのが花形選手のいい所。

この試合、花形選手は判定で敗れるが、リングサイドにはWBAチャンピオン大場選手の姿があった。

気になってしょうがないライバルの存在。大場選手にとっては、眼の上のたんこぶ、花形選手。けりをつけたい。かくして日本人同士2度目の世界タイトルマッチのゴングは鳴らされる。

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このページは、BOXINGNAVIが2007年11月24日 13:14に書いたブログ記事です。

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