ノンタイトル戦で日本、東洋、世界の王者を立て続けに破った大場政夫(帝拳)選手)。WBA世界フライ級王者バーナベ・ビラカンポ(比)とはタイトルを賭けてすぐに再戦の話もあったが、これは時期尚早と辞退。次の防衛戦で対戦の約束を取り付けた。
68年11月、タイの英雄チャチャイ・チオノイの持つWBC王座挑戦に敗れ、半年後再びバンコクに渡り、ベルクレック・チャルバンチャィに敗れているビラカンポ。
ビラカンポは70年4月、タイトルを賭けての再戦にも敗れた。ムエタイ王者から無敗で国際式世界王者になったベルクレック・チャルバンチャイは、バンコク生まれであるが、中国人の両親を持つ。
タイがA、C二つの世界フライ級王座を独占していたが、人気は圧倒的にチャチャイ。日本でも”稲妻小僧”のニックネームで親しまれた。
比国の英雄フラッシュ・エロルデを擁したロッペ・サリエル氏は超やり手のマッチメーカーだ。WBAの新王者ベルクレックを比国へ呼び寄せ、ノンタイトルでエルビト・サラバリアに勝たせる。
タイでの知名度を上げバンコクへ乗り込み、WBC王者チャチャイの王座に挑戦。サラバリアは、70年12月2回TKOでチャチャイを破り、WBC王者になっている。
ベルクレックは、ビラカンポが約束していた相手、大場政夫選手との対戦をOKした。ただし、試合地はバンコクで、帝拳側もタイへ行く事を覚悟していた。対戦交渉はサリエル氏に委ねられる。

ここで大場選手側に幸運が味方する。チャチャイとベルクレックの人気の違い、試合開催時期等もあり、正式契約寸前タイトルマッチは東京開催でまとまった。これもサリエル氏の手腕である。
70年10月22日、待ちに待った世界挑戦が実現した大場選手。創設45年目を迎えた名門ジム、実に6度目の世界アタックである。
王者は朝の計量で1ポンドオーバー。最後は入歯もはずして5回目でようやくパス。前日、喰いすぎたらしい。試合前喰い過ぎるとああなってしまうという緩慢な動きのチャンピオンを挑戦者は圧倒。スピードが違った。
ポイントで大きくリードした後半も手を緩めず、13回痛烈なノック・アウトで21才の新チャンピオンが誕生した。

「これが挑戦者だよ!」
パーラⅢを控えた坂田選手に、大竹マネジャーはそう教えた。
本田天皇といわれた先代・本田 明 会長の逝去後は、メインエベンターがいなくなった時期もあった名門・帝拳ジム。まだ高校生で会長就任した本田明彦会長。坂田選手のパーラ挑戦には、多大なご協力を頂いた。
坂田選手王座獲得後、大竹&坂田の師弟コンビは帝拳ジムを訪れ、感謝の意を述べている。
「よかったわねェ坂田君。長かったもんねェ」
「よく辛抱して、頑張ったねェ」
大場選手が保持していたWBA世界フライ級王座。かつて、同じ喜びを味わった本田会長、長野マネジャーも大変喜んでくれたようです。
ランキングボクサーがいなくなった名門ジム会長は、既に3年後の大場選手世界挑戦を夢見ていたという。
「大場君は練習より試合の方がいいから期待していた」
長野マネジャーの喜びは、ひとしおであったようだ。
「オヤジさんは、お金は残していってくれなかったけど、伝統と長い歴史はお金に代えられない遺産でした」
伝統と歴史。悲願の世界王座奪取。
「簡単に人には渡せませんよ」
大場選手はチャンピオン・ロードをひたすら突き進む。

V旅行はハワイに連れて行くと本田会長。ああ、地獄のハワイしか知らない坂田選手。(~~)
「チャンピオンでいられるっていいだろ」(~~)
「まだまだ手放せないよなァ、坂田」(~~)
ニッコリ笑顔で応えるチャンプ。苦労して得た王座、そう簡単には渡せない。

68年11月、タイの英雄チャチャイ・チオノイの持つWBC王座挑戦に敗れ、半年後再びバンコクに渡り、ベルクレック・チャルバンチャィに敗れているビラカンポ。
ビラカンポは70年4月、タイトルを賭けての再戦にも敗れた。ムエタイ王者から無敗で国際式世界王者になったベルクレック・チャルバンチャイは、バンコク生まれであるが、中国人の両親を持つ。
タイがA、C二つの世界フライ級王座を独占していたが、人気は圧倒的にチャチャイ。日本でも”稲妻小僧”のニックネームで親しまれた。
比国の英雄フラッシュ・エロルデを擁したロッペ・サリエル氏は超やり手のマッチメーカーだ。WBAの新王者ベルクレックを比国へ呼び寄せ、ノンタイトルでエルビト・サラバリアに勝たせる。
タイでの知名度を上げバンコクへ乗り込み、WBC王者チャチャイの王座に挑戦。サラバリアは、70年12月2回TKOでチャチャイを破り、WBC王者になっている。
ベルクレックは、ビラカンポが約束していた相手、大場政夫選手との対戦をOKした。ただし、試合地はバンコクで、帝拳側もタイへ行く事を覚悟していた。対戦交渉はサリエル氏に委ねられる。

ここで大場選手側に幸運が味方する。チャチャイとベルクレックの人気の違い、試合開催時期等もあり、正式契約寸前タイトルマッチは東京開催でまとまった。これもサリエル氏の手腕である。
70年10月22日、待ちに待った世界挑戦が実現した大場選手。創設45年目を迎えた名門ジム、実に6度目の世界アタックである。
王者は朝の計量で1ポンドオーバー。最後は入歯もはずして5回目でようやくパス。前日、喰いすぎたらしい。試合前喰い過ぎるとああなってしまうという緩慢な動きのチャンピオンを挑戦者は圧倒。スピードが違った。
ポイントで大きくリードした後半も手を緩めず、13回痛烈なノック・アウトで21才の新チャンピオンが誕生した。

「これが挑戦者だよ!」
パーラⅢを控えた坂田選手に、大竹マネジャーはそう教えた。
本田天皇といわれた先代・本田 明 会長の逝去後は、メインエベンターがいなくなった時期もあった名門・帝拳ジム。まだ高校生で会長就任した本田明彦会長。坂田選手のパーラ挑戦には、多大なご協力を頂いた。
坂田選手王座獲得後、大竹&坂田の師弟コンビは帝拳ジムを訪れ、感謝の意を述べている。
「よかったわねェ坂田君。長かったもんねェ」
「よく辛抱して、頑張ったねェ」
大場選手が保持していたWBA世界フライ級王座。かつて、同じ喜びを味わった本田会長、長野マネジャーも大変喜んでくれたようです。
ランキングボクサーがいなくなった名門ジム会長は、既に3年後の大場選手世界挑戦を夢見ていたという。
「大場君は練習より試合の方がいいから期待していた」
長野マネジャーの喜びは、ひとしおであったようだ。
「オヤジさんは、お金は残していってくれなかったけど、伝統と長い歴史はお金に代えられない遺産でした」
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