昭和のファイター・世界フライ級王座の歴史Ⅲ

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1966年分裂した世界フライ級王座は、A、C両団体がそれぞれ王者を認定。今日に至っている。世界1位海老原博幸(協栄)選手の挑戦を回避したとして、サルバトーレ・ブルニ(伊)の王座をはく奪したWBA。

東京で行なわれた王座決定戦は、高山勝義(新日本木村)vsオラシオ・アカバリョ(亜)の組み合わせ。

決定戦には海老原選手の出場が決まっていたが、左拳骨折で高山選手にチャンスが回って来た。65年10月、ノンタイトル戦ながら時の世界王者ブルニを破っている高山選手。



そもそも木村会長との出会いが、ケンカだったというほどの気の強さを持つファイター高山選手は木村会長の一番弟子。この頃は、ウェートがきつくなっていたようで1−2判定負け。王座は地球の裏側アルゼンチンへ持ち去られた。

地元ルナ・パークで海老原博幸、アラクラン・トーレス(メキシコ)と際どい判定で2度王座防衛を果たしたアカバリョは来日し67年2月、田辺 清 (田辺)選手と対戦するが、6回TKOで敗れキャリア2度目の黒星を喫する。



ローマ・オリンピック・フライ級で日本選手初のメダル(銅)獲得。プロ入り後も20連勝無敗1分、日本王座を獲得していた田辺選手。本番での勝利を大きく期待された事は言うまでもない。

しかし、田辺選手がリングへ上がる事は2度となかった。3ヵ月後、右目網膜はく離で突然の引退発表。既に世界王座挑戦が契約されていた田辺選手。トレーナーにはエディ・タウンゼント氏がついていた。

「一番可哀そうは、田辺 清 」

田辺選手の挑戦権は、WBAの裁定で海老原博幸選手に与えられた。試合は67年8月12日ルナ・パーク。1年前、左拳を骨折しながらチャンピオンを右手一本で追い回した海老原選手。再起には9ヶ月を要した。

「もうチャンスは来ないんじゃないか」

そんな心境だったという海老原選手。金平会長はエディ・タウンゼント氏をトレーナーに迎え、田辺選手の無念を晴らそうという気概を見せた。



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「田辺さんの分まで頑張らねば・・・」

海老原選手、金平会長、山神、タウンゼントの両トレーナー4人は、35時間かけて真冬のアルゼンチンにやって来た。

地元予想は5−4でチャンピオン有利。しかし、海老原選手はスパーで外国人パートナーを失神させるなど、絶好調。怖いのは拳のケガだけ。

しかし、またしても左拳は折れた。6回、激痛が走る。



「心配すると思って金平さんにも言わなかった」

試合は両者流血の打撃戦。レフェリーは採点せず、20点法、アルゼンチン人3人のジャッジは、296−294、293−298、296−297の1−2でチャンピオンを支持。

「これは、強盗よ!」

タウンゼント氏は怒った。

「スポーツマンだから結果に付いては何も言わない」

海老原選手は男らしく言った。

勝ったチャンピオンもグッタリ。この表情が苦戦振りを物語る。



帰国した海老原選手にもうチャンスは来ないと思われた。金平会長は周囲の空気を察し、引退説を否定したが、専門誌は”海老原に残された道は引退しかないのである”。

絶望的な1ポイント。

しかし、心が疲れたアカバリョの方が先に引退宣言。68年10月1日、タイトルを正式に返上してしまう。空位の決定戦出場権を巡り、マネジャー達の激しいリング外バトルが始まった。

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このページは、BOXINGNAVIが2007年11月19日 12:05に書いたブログ記事です。

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