ついにハーフポイント・システムが導入される。従来の10点法が、0.5ポイント刻みの細かい採点法となる。JBCが承認すれば、来年1月10日のWBA世界バンタム級タイトルマッチで試される。
WBAが来年1月から新採点法導入へ(日刊スポーツ)新方式では微差を9.5、大差を8.5とするとある。ダウンで10−8。KO寸前であれば10−7となる。反則減点は1ポイントで変わらないであろうから、厳しく取り締まられる反則も大きな影響をもたらしますね。
ほんのちょっとの勝ち、10−9.5がたくさんありそうで、実に微妙そう。はっきり取れば8.5になるんでしょうか。軽いしりもちダウンなら8.5で収まってしまうのか。
いずれにしてもボクシングは、より忙しく、よりスピード化していくということでしょうか。

昭和27年、日本初の世界タイトルマッチ、ダド・マリノvs白井義男戦は10点法であった。レフェリーを含む3人のオフィシャルは全て日本人。ダウンはなかったこの試合、ジャッジ伊藤氏は11、12回のチャンピオンに”7”を付けている。
白井選手から一番ポイントを引いたのもこの伊藤ジャッジ。時代の先端をいっていた採点なのかもしれませんね。
リマッチで14回、前王者をダウン寸前に追い込んだ白井選手。このラウンド2人のジャッジが10−6とつけている。この試合、10−9よりも10−8が目に付き、10−7も4ラウンドある。
外国人ジャッジが登場するのは、白井選手がタイトルを失う事になる対パスカル・ペレス戦から。サリバン、パチェコの両米国人がジャッジを務めた。
初回、スリップ気味のダウンを喫したチャンピオンに米国人ジャッジは、10−8と採点。 林 国治ジャッジは10−9。12回、白井選手が再び倒されたラウンドは2人が10−8。続く13回は10−8が2人に10−7。ダウンの記録はない。
昭和35年8月の世界フェザー級タイトルマッチ、デビー・ムーアvs高山一夫戦までの10回の世界戦は全て10点法。ムーアvs高山戦は初の5点法であった。
12回高山選手ダウンで5−3。米国人ジャッジ2人は、他のラウンド5−4までしかつけていないが、 林 ジャッジはダウンしてなくても5−3でチャンピオンとしたラウンドが二つある。
昭和35年5月のジョー・ベセラvs米倉健志戦では、日本人ジャッジ遠山 甲 氏と、メキシコ人、米国人ジャッジとでは大きな採点法の違いが出た。

後半、カウンター狙いに徹した米倉選手を、チャンピオンは必死に追ったが追い切れず試合終了。後半5ラウンドをイーブン(それぞれ1ポイントマイナス)とつけた遠山氏であったが、外国人ジャッジは圧倒的にベセラ。
この試合で初めて、攻勢点重視の欧米式採点法に対する日本側の採点基準が指摘されたとある。
昭和33年10月10日、ファイティング原田選手がポーン・キングピッチに挑んだ試合以降、5点法が続いた国内世界戦。

ハーフポイント制ではないが、そんな感じで採点されていたJBC草創期の大先輩。わかりやすくクリーンな印象があります。
10点法復活は、昭和49年2月のWBC世界Sフェザー級タイトルマッチ、リカルド・アルレドンドvs柴田国明戦から。左ジャブを得意とするアルレドンド有利と見られていたが、顔面を腫らした柴田選手が素早いコンビネーションでポイントを稼いでいった。

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その後は、5点法と10点法を混ぜて行われたWBC世界戦であるが、昭和50年6月のライト級戦、ガッツ石松vsツリー・ピネダから10点法が定着。
日本国内でWBA世界戦初の10点法は、昭和53年1月のグティ・エスパダスvs高田次郎のフライ級タイトルマッチから。以後、全ての世界戦は10点法となる。
微差を取る為に5点法から10点法へ移行。さらに細かく振り分けるために0.5ポイント制導入。ジャッジにかかる責任は益々重大で、難しくなりますね。日本国内でもWBAにならうようになるんでしょうかねェ。(~~)
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