夢・大場政夫2世と一瞬の夏

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「お前の事、本に出てたぞ」

大竹先輩からそう言われたのは、昭和56年(1981年)夏の事。気なる私は、早速その本を買い求めた。沢木耕太郎著、”一瞬の夏”。 一瞬の夏(上) 一瞬の夏(下)


「相手も金平さんとこのホープだったらしいけど」

帝拳ジム長野マネジャーの言葉であるが、この金平さんとこの”ホープだったらしい”のが、何を隠そう私である。沢木氏は、大場政夫選手と長野マネジャーを題材にした『ジム』という作品を発表されている。

あの子が16歳にならぬ頃このジムに現れたように、あの子が素晴らしい足腰と、スピードの持ち主であったように、いま私の前に「もうひとりのあの子」が姿を現したのだ。素質もあの子に劣ることはない。この子がいつか帝拳にもう一度春を呼び戻してくれるかもしれない。その日まで、わたしはこのジムを守っていかなければならない義務がある。−沢木耕太郎 ジムより抜粋ー



あの子とは永遠のチャンピオン大場政夫選手の事である。そして、この子は谷津弘之選手。大場選手とはちょうど一回り齢が違う。中学生にして、プロの10回戦選手を倒してしまうほどのボクサーは、長野マネジャーに大いなる夢を抱かせていた。

帝拳の”天才”中学生の噂が、ボクシング界に脅威として広まっていたと知ったのは、随分後の事である。

満を持し、17歳になったその月にデビューする谷津選手。私は高校生活を自主的に1学期でケリを就け上京、ミカドジムに16歳で入門。ウェートの割りに背が高い事から、亀田昭雄選手や杉谷 実 、須賀原 徹 、大竹重幸選手らのパートナーを務めてきた。



昭和53年10月26日後楽園ホール。セコンドには中村先生の他に、13勝中12KO勝ちを誇った強打のSライト級ランカー須賀原 徹 先輩。翌日に試合を控え、ゲッソリとやせこけた大竹先輩もリングサイドに駆けつけてくれた。

普通に勝てると思っていたデビュー戦。初回終了のインターバルの事はよく覚えている。「パンチあるか」「あります」

3回、思わぬダウンを喫し慌てた。後は覚えていない。吉田レフェリーが試合をストップしたのは2分50秒。アレレッという感じ。

シャワー室で谷津選手と言葉を交わした。中学生からボクシングをやってる事を知る。上には上がいるもんだ。だが、そこまで期待されていたとは知らない私。翌日、大竹先輩の試合を応援し、次の日には練習を再開した。

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取材のお礼を一切受け取ろうとしない長野マネジャーに、沢木氏は谷津選手名義の預金通帳を贈っている。

「これはあの子がチャンピオンになる時の試合で使わせてもらうわ」

帝拳ジムの希望だった谷津選手は、日本ライト級1位までランキングを上げた。しかし、度重なる肩の脱白で3年間のブランクを作る。カムバックするも目を故障、無念の引退を遂げている。

左拳の骨折で2年のブランクを作った仕事仲間、浜田剛史選手の世界奪取の瞬間はセコンド手伝っていましたね。私は、アルレドンド側控え室にいました。


「一日一日を精一杯生きよう!」

長野マネジャーからかけられた言葉を忠実に守っていた谷津選手。

「それじゃ勝てるわけないよ、ユーは」(~~)

大竹マネジャーの得意そうな顔が浮かぶ。もう、ズッ〜っと言われそうだ。いや、言われる。(~~)

ハッキリと記憶に残るデビュー戦。今となっては、大変良き想いでです。

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このページは、BOXINGNAVIが2008年10月 1日 12:20に書いたブログ記事です。

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