昭和55年(1980年)8月2日、米デトロイトでサムエル・セラノ(プエルトリコ)を、6回右フック一発でノックアウト。WBA世界Sフェザー級王座を強奪した上原康恒選手は、協栄ジムから生まれた4人目の世界王者だ。
5回まで劣勢だった上原選手に、金平正紀会長は、「お前の好きなようにやって来い」と、アドバイス。しかし、戦後はこう述回している。「私だってまさか康恒が、一発でセラノを倒すなんて思わなかったですよ、正直なところ」(~~)
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当時の金平会長は、”4人もの世界チャンピオンを産んだ強運オーナー”と紹介されている。”強運”。
野口ジム所属だった現役時代の最高位は日本フライ級1位。26歳の時、将来を考えてトンカツの店”トン金”を開店。そして間もなく、知人からボクサー志望だという青年・海老原博幸氏を紹介される。
「やる気があるならと思い、二人で店の合間に野口ジムへ通ったわけです」
「そこで彼の才能を見いだして彼に賭ける気になったんですね」
「いや、実は迷ったんです」
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昭和34年(1959年)プロデビューを果たした海老原選手だが、早くも左手骨折に見舞われる。金平会長は、「もうやめるって言い出すと思いましてね。ところがどうしてもやると言うので、これは見込みがある。俺はこの男と心中しようと決心して、店をやめてジムを持ったんです」
「店は繁盛していたんでしょうねェ」
「繁盛していましたからねェ、それだけに迷いました。あそこが私の人生の別れ道でした。今考えると自分でもよく決心したですね。繁盛してる店をやめて海老原に賭けるということは、本当に私にとっては一世一代の大バクチでした」
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「馬小屋同然の倉庫を、海老原と二人でトンカチ金槌で直したりしたもんですよ」
入り口の戸も満足に開かない有様で、二人で苦労して戸が開き、「開いた、開いた」と喜んだら、隣人がゲラゲラ笑っていたという。「戸は開くもんだ」(~~)
日本人選手として海外で初めて世界王座を獲得した西城正三選手は、兄の正右氏が専属トレーナーという変則スタイルでの入門。方々のジムで断られ、野口ジムで見かけた人の良さそうな金平さんに頼んでみよう。あの人ならわかってくれるかもしれない。そして、金平会長は、いともあっさりと兄弟の入門を許した。
「どうせジムは空いているんだから好きな時に使っていいよ」
西城選手に将来を感じるのは少し後の事。だが、ホープはアゴの骨折に見舞われる。入院、長期に渡る休養。もうこれまでか。
「あの時、自分はなんて運が悪いのか、せっかくのホープだが、もうこれでやめるだろうと思ったんですが、これがまた海老原と同じでやめると言わない。これは本物だと思って、ロスへ行かせたんです」
「当時の私にはボクシングならロサンゼルスでという考えがあり、それで宮下トレーナーをつけて修行に出したわけです。私も一緒に行って全ての手配をつけました」
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「その後、西城が真面目に練習していたので向こうからタイトル挑戦の話が転がり込んで来て、西城はシンデレラボーイと騒がれました。私も運が良かったですよ。しかし、その運を生かすか殺すかは、その人間にあることで、やっぱり努力なしでは運はモノに出来ませんよ」
この間、ジムはめまぐるしく移動。草加市、目黒を経て千駄ヶ谷へ60坪のジムを構えていた。
「具志堅がチャンピオンでなくなったからといって、社員の月給を半額にするわけにはいきませんよ。選手を作らなければならない。その為の生きた金なら、どんどん使うつもりでいますよ。選手だって元をかけなければ、いい選手は出来ません」
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”大切なのは選手との心の結びつき”
「『俺は言われた通り、そして自分のベストを尽くせばいいんだ』と思ってついてきてくれる気持ちがあれば、私は必ず一人前に仕上げて見せますよ。海老原、西城、具志堅。そして、上原。みんなその点では実に素直について来てくれました。私の今日あるのも皆、彼らのお陰ですよ」
「具志堅なんかでも、いまだに私の言う事は、子供のように素直に守ってくれますよ」
具志堅選手。「嫌いな食べ物はきゅうり。金平会長が体によくないからって言ったから」
きゅうりが体によくないとは思えませんが、その素直さが凄い。(~~)
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ボクシングに生まれてボクシングに死んだ人。ジョージ・パーナサスプロモーターを尊敬してやまなかった金平会長。たえず立派なマッチメイクをしていた。一度決めた事は曲げない。人を見る目があって、こわい存在のおじいさんと評されている。
強運と呼ばれる人は、チャンピオンばかりでなく、パートナーも大事にする気使いの名人で、現場をやる気にさせた。
選手を育成するばかりでなく、トレーナーを育てる為にもお金を使った。それは生きたお金であるからだろう。選手と同じく、金平会長がやる気を感じ取ったトレーナーは、皆ロサンゼルス、ハワイで長期間修行生活を送っている。
最初の一歩。誰でも難しいものです。一つの決断がボクシング界の歴史を変えた。選手に賭ける心。見習はなければなりません。しかし、人ありきですね。
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