1962年8月、プロボクシング世界王者認定機関NBA(全米ボクシング協会)は、WBA(世界ボクシング協会)と名を改めた。しかし、その会長職は各州で1票づつ米国勢力が強く、米国、カナダ支配が続いていた。
72年から会長職に就いたのはハワイのボブ・リー氏。WBA本部はハワイに置かれた。ハワイボクシング隆盛の時代。
★EVERLAST ミニグローブ&キーリングス

写真中央リー元会長。右、イトウ先生。”八海山”がお好みのリー氏でありました。(~~)
中南米諸国勢力の代表として米国主導のWBA体制にストップをかけ、政権交代をとげたのが、時の副会長職エリアス・”ドクター”・コルドバ(パナマ)氏。1974年8月パナマ・コンベンションでの出来事である。
★EVERLAST ミニグローブ&キーリングス

WBA会長時代のコルドバ氏。右はスレイマンWBC会長。1976年。
コルドバ政権は、すぐに次の決議をなした。
『ヘビー級をのぞく各級の世界チャンピオンは、6ヶ月以内(ヘビー級は1年以内)に防衛戦を行わなければならない』
『挑戦者はランキング10位以内から選ぶ事が出来るが、6ヶ月以内に防衛戦をしなかった場合は、90日以内にランキング1位の選手と防衛戦を行う事。従わない場合はタイトルは剥奪される』
中南米ボクシング復興の祖コルドバ氏の訃報が届いたのは、つい先頃の事。8月23日(現地時間)享年92歳。WBA終身会長の名誉を得ていた。すい臓がんが発見されてから、僅か2週間後の出来事であったという。
WBA”KOドラッグ興行”計量終了後、関係者は急ぎ故コルドバ氏の追悼セレモニー会場へ向かった。
★9月21日坂田健史・瀬藤&藤本プレゼント付チケット


参列された山田純夫氏は、「齢を取られてからも僕の事覚えててくれて、声かけてもらいました」と、しんみり。
77年まで会長職を務めたコルドバ氏は、巻き返しを図る米国勢力を取り込んだフェルナンド・ガリンデス(ベネズエラ)氏に会長職を譲る。以後、まとまりをなくした米国勢力を巻き込んでのベネズエラ(ガリンデス)vsパナマの仁義なき戦いの火蓋が切って落とされる。
79年マイアミ。ガリンデス会長と、パナマボクシング界が立てたロドリゴ・サンチェス氏の一騎打ち。詳しくはこちらの記事をご覧下さい。勉強になります。(~~)【WBA会長の歴史・メンドサ政権誕生の裏側】

ガリンデス氏を追い落としたサンチェス氏であったが、82年急死してしまう。再びし烈な主導権争いが勃発。WBA戦国乱世の時代。様々な思惑が駆け巡る中、漁夫の利を得る形で同国人の実力派ガリンデス元会長を追い落とし政権を掴んだのが、現会長のヒルベルト・メンドサ氏。
ガリンデス氏とは半目という共通項があったパナマが、メンドサ氏を引き上げた。その陰の立役者がコルドバ氏であることは言うまでもない。

撮影、Sumio Yamada ★9月21日坂田健史・瀬藤&藤本プレゼント付チケット
昨年のWBA総会にて。

深く頭を下げるメンドサ会長。感慨深いものがあるのだろう。戦国乱世のトップに躍り出たメンドサ氏は、勢力一本化に取り組み安定勢力を築き、現在に到る。しかし、気概のある反骨分子はIBF、WBOを設立。離反していった。
気がつけば27年の長期政権。今年は4年に一度となった会長選挙があるはずだ。老雄は暫定王座乱発のメンドサ・ジュニア副会長にその座を禅譲出来るのか。
★9月21日坂田健史・瀬藤&藤本プレゼント付チケット

左からメンドサ会長。コルドバ氏の令嬢レイラ氏。パナマコミッションに勤務するお孫さん。
時代は変わったが、健全なタイトル戦承認こそ管轄団体の命。かつてコルドバ氏は、「タイトルの権威を守り、トップコンテンダーの立場は憂慮する」という考え方であった。
戦国乱世→徳川安定政権→明治維新。日本の歴史は皆様ご存知の通り。かつてない安定政権にあるWBA(WBCも同様であるが)、タイトル統括団体としての歴史は、今後どのような道をたどるのだろうか。
ボクシング界に偉大な功績を残したコルドバ氏に黙祷。
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72年から会長職に就いたのはハワイのボブ・リー氏。WBA本部はハワイに置かれた。ハワイボクシング隆盛の時代。
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写真中央リー元会長。右、イトウ先生。”八海山”がお好みのリー氏でありました。(~~)
中南米諸国勢力の代表として米国主導のWBA体制にストップをかけ、政権交代をとげたのが、時の副会長職エリアス・”ドクター”・コルドバ(パナマ)氏。1974年8月パナマ・コンベンションでの出来事である。
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WBA会長時代のコルドバ氏。右はスレイマンWBC会長。1976年。
コルドバ政権は、すぐに次の決議をなした。
『ヘビー級をのぞく各級の世界チャンピオンは、6ヶ月以内(ヘビー級は1年以内)に防衛戦を行わなければならない』
『挑戦者はランキング10位以内から選ぶ事が出来るが、6ヶ月以内に防衛戦をしなかった場合は、90日以内にランキング1位の選手と防衛戦を行う事。従わない場合はタイトルは剥奪される』
中南米ボクシング復興の祖コルドバ氏の訃報が届いたのは、つい先頃の事。8月23日(現地時間)享年92歳。WBA終身会長の名誉を得ていた。すい臓がんが発見されてから、僅か2週間後の出来事であったという。
WBA”KOドラッグ興行”計量終了後、関係者は急ぎ故コルドバ氏の追悼セレモニー会場へ向かった。
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参列された山田純夫氏は、「齢を取られてからも僕の事覚えててくれて、声かけてもらいました」と、しんみり。
77年まで会長職を務めたコルドバ氏は、巻き返しを図る米国勢力を取り込んだフェルナンド・ガリンデス(ベネズエラ)氏に会長職を譲る。以後、まとまりをなくした米国勢力を巻き込んでのベネズエラ(ガリンデス)vsパナマの仁義なき戦いの火蓋が切って落とされる。
79年マイアミ。ガリンデス会長と、パナマボクシング界が立てたロドリゴ・サンチェス氏の一騎打ち。詳しくはこちらの記事をご覧下さい。勉強になります。(~~)【WBA会長の歴史・メンドサ政権誕生の裏側】


ガリンデス氏を追い落としたサンチェス氏であったが、82年急死してしまう。再びし烈な主導権争いが勃発。WBA戦国乱世の時代。様々な思惑が駆け巡る中、漁夫の利を得る形で同国人の実力派ガリンデス元会長を追い落とし政権を掴んだのが、現会長のヒルベルト・メンドサ氏。
ガリンデス氏とは半目という共通項があったパナマが、メンドサ氏を引き上げた。その陰の立役者がコルドバ氏であることは言うまでもない。

撮影、Sumio Yamada ★9月21日坂田健史・瀬藤&藤本プレゼント付チケット
昨年のWBA総会にて。

深く頭を下げるメンドサ会長。感慨深いものがあるのだろう。戦国乱世のトップに躍り出たメンドサ氏は、勢力一本化に取り組み安定勢力を築き、現在に到る。しかし、気概のある反骨分子はIBF、WBOを設立。離反していった。
気がつけば27年の長期政権。今年は4年に一度となった会長選挙があるはずだ。老雄は暫定王座乱発のメンドサ・ジュニア副会長にその座を禅譲出来るのか。
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左からメンドサ会長。コルドバ氏の令嬢レイラ氏。パナマコミッションに勤務するお孫さん。
時代は変わったが、健全なタイトル戦承認こそ管轄団体の命。かつてコルドバ氏は、「タイトルの権威を守り、トップコンテンダーの立場は憂慮する」という考え方であった。
戦国乱世→徳川安定政権→明治維新。日本の歴史は皆様ご存知の通り。かつてない安定政権にあるWBA(WBCも同様であるが)、タイトル統括団体としての歴史は、今後どのような道をたどるのだろうか。
ボクシング界に偉大な功績を残したコルドバ氏に黙祷。
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