追悼・元日本Sバンタム級王者・清水 精

| コメント(0)
「エッ、ホントですか!」

清水さんの突然の悲報を聞き驚いた。カカアコジムへ行く度に、合宿生共々、大変お世話になりました。「オオ、金元いるかァ〜」。何の前触れもなく突然やってこられることも度々。ドライブ、食事、カラオケ。また、ビジネスの話。

「困ったことあったら何でも言って来いよ」

62歳。余りに若く、突然の訃報である。清水精 ? Rafu Shimpo

戦後第2代の日本Sバンタム級チャンピオン清水 精 (クワシ)選手。ヨネクラジム所属。宿敵中島建次郎(船橋)選手との第2戦目は、昭和44年度の年間最高試合賞(下写真)を獲得している。


中島vs清水・第2戦。

中島選手との3戦は、いずれも先にダウンした方が勝つという激しい試合だった。

昭和22年8月27日山梨県甲府市生まれ。中学2年の時、埼玉県蕨市に移住。父清氏は元日大選手。男ばかりの4人兄弟の末っ子。東京都北区の成立学園高校在学中からボクシングジム入り。

「最初は王子の帝拳ジムへ行ったんですが、前に喧嘩したヤツが練習していたので、やめてヨネクラジムへ入ったんです」

アマ戦績16勝(13RSC)2敗。プロデビューは昭和39年(1964年)12月25日。山口 強 (ベア)選手との試合は、「リングに上がったらカーッと上がちゃってどうなったかわからず。控え室へ帰ってはじめて判定負けと知り。やっぱりプロは強いやと思いました」

「とにかく殴られるとカーッとしちゃって向っていくもんだから、バンとやられちゃう」(~~)

「やられても君の試合は面白いからお客は喜ぶよ」(~~)

”栄光か死か!”。”KOセールスマン”。いさぎよく、倒すか倒されるか。派手で見るものをしびれさせたボクサー、というのが清水選手評である。


学生服姿の王者。クーちゃんの愛称で親しまれた。

清水選手が王座9度防衛中の太郎浦一(新和)選手を降し、初めて日本王座を獲得したのは昭和44年2月12日。専修大学在学中の学士チャンピオンの誕生。だが、4月30日の初防衛戦では、中島選手に初回ダウンを奪うも二回3度倒されKO負け。自分に何が起こったのかわからない程の大きなショックを受けた。

7月23日ダイレクトリマッチ。再び挑戦者となった清水選手は、「この試合に負けたらグローブを捨ててアメリカへ行こう」と心に決めていた。

前半チャンピオン優勢。中盤から盛り返した清水選手であったが、7回中島選手の右フックで痛烈なダウンを喫する。

「ダウンした時、ポイントアウトの考えは捨てました。KOでしか勝てないと」

こう決めた清水選手は立ち上がるや猛然と反撃。そして続く8回、「生涯最高の右アッパー」が、王者のアゴを捕らえる。両手を挙げ勝利ポーズの清水選手、中島選手は必死に立ち上がろうとするが、体を一回転させうつぶしたまま動かない。テンカウント。




中島vs清水・第2戦。

生涯最高の勝利を飾った清水選手。人生とは不思議なもので、「負けたらアメリカへ行こう」の思いは勝利して実現する事になる。「プロボクサーになったのは、海外へいけるチャンスがあったから」

これまでも、グァム、韓国遠征を経験。特にグァムはお気に入りで何度も遠征している。あちらのリングでも人気者だったが、「自分は1ドルしか持っていかなかった」というハングリー精神も持ち合わせる。「試合まで外出せず集中し、ファイトマネー貰うまで我慢する」

再度王者に就いた清水選手は生まれて初めてハワイの土地を踏む。1969年9月16日ホノルル遠征した日本王者は、カーリー・デキノ(比)と対戦するも3回TKO負けの記録が残る。

「俺はヨネクラだけど、協栄の選手と仲いいんだよなァ」(~~)

”ガチンコ”で有名な沖ジム宮下会長とは兄弟分。宮下選手もハワイ、ロス等のリングで活躍した。ハワイでは、8千人以上の観衆を呼ぶ人気選手であった。

ブログランキング

日本王者清水選手がそれまでで一番悔しかった試合は、「東日本新人王の決勝で新関徳幸(協栄)君に負けた時です」。腕を痛め、6回判定負けで新人王の座を逃していた。

その新関選手もホノルルのリングが最後で、69年網膜はく離で引退。トレーナーに転進した新関氏は、スタンレー・イトウ氏の下でトレーナー修行を積む為、再びハワイへ渡っている。(現在はテキサス州在住)。

11月19日中島選手との第3戦目は、初回ダウンを喰らった清水選手が2回に2度倒し返しKO勝ち。王座防衛に成功する。しかし、翌70年11月、伏兵アタック原田(クラトキ)選手に意外な10回判定負けで王座に別れを告げる。

1年後、韓国での試合を最後にグローブを置いた清水氏は、ハワイで観光業のかたわらプロモーター業を開始する。吹打 龍 (ヨネクラ)選手、大久保克弘(三迫)選手等多くの日本選手の面倒も見た。

「世界チャンピオンも作ったんだよ」

「エッ、誰ですか?」

「ローランド・ナバレッテ(比)」

「あのナバレッテですか」

80年4月アレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)の世界王座長挑戦に敗れたナバレッテは、81年1月清水氏のプロモートによって、ハワイのリングで再起。8月29日WBC世界Sフェザー級王者コーネリアス・ボサ・エドワーズ(ウガンダ)挑戦のチャンスを掴む。

遠くイタリアでの挑戦だったが、ナバレッテは5回KOで見事世界王座を獲得。”バッド・ボーイ”ナバレッテは、世界チャンピオンになり一躍祖国の英雄となった。しかし、この時ビジネス的に色々といやな思いをされたらしい。ボクシング界と一戦を引く原因になるはこの当りにありそうでした。

「金平会長にはよくお客さん紹介してもらったなァ」(~~)

ハワイで観光業も営んでいた清水氏。その頃のお話もタップリ聞かせてもらったが、かなりヤンチャな事もやられていたようで、聞かされる逸話はまるで映画のワンシーンさながら。「メチャクチャやってたなァ」

「羽切(サムライ・元ヨネクラジム)も死んじまってなァ。俺は人に恵またよ。ハワイに来るのは、墓参りに来る様なもんだよ」


左から清水氏、マルオ氏(元選手)、イトウ先生。07年パール・シティ。

「クワシのオフィス、すっごく大きいねェ。ビックリした」

スタンレー・イトウ先生が驚かれていた。近年、月に一度開かれるハワイ・ボクシング界のミーティングにもよく参加されていました。「最近、つまんないんだよなァ」とおっしゃられていた清水さんの心にあったのは、やはりボクシングのようです。

「クワシ来ると忙しいよ僕」

イトウ先生を大変大事にされておられる清水氏は、ハワイボクシングの界活性化を願い、11月28日に拓大チームとの対抗戦をホノルルで開催すべく尽力されていました。

謹んでご冥福をお祈りいたします。 −合掌ー

毎日の”励み”に、応援よろしくお願い致します→  にほんブログ村 格闘技ブログ ボクシングへ  【TOP】 【目次】

   

MIZUNO SHOP ミズノ公式オンラインショップ


コメントする

このブログ記事について

このページは、BOXINGNAVIが2009年10月13日 11:44に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「WBO世界Sバンタム級戦・ロペスvsムタグワ」です。

次のブログ記事は「リング禍・辰吉に勝った男・サーカイ・ジョッキージム」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

2010年11月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
Powered by Movable Type 5.02