龍反町vs五木ひろし・野口プロモーション

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29日大阪府立体育会館で開催されるWBA世界Sウエルター級タイトル戦、暫定王者・石田順裕(金沢)vs同級15位オネイ・バルデス(コロンビア)の試合取材の為、山田純夫 氏が帰国された。

「飛行機で五木ひろし特集が流れていて・・・」

音楽家(歌手)志望の山田氏が、五木氏についてあれこれと語り始めた。

「最初は野口ジムと一緒だったんですよ」(~~)

「エッ、ほんとですかァ!」

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1970年、「これでダメだったら福井に帰って農業をやる」。悲壮な決意の下、全日本歌謡選手権に出場した売れないプロ歌手五木氏は、見事10週を勝ち抜き再デビューの権利を獲得。71年3月、”よこはまたそがれ”で再デビューを果たす。

所属事務所は、『野口プロモーション』。社長は野口 修 氏。五木氏は同プロモーション所属の芸能人第1号だった。

ライオンの異名を持つ野口 進 氏の長男修氏は、野口ボクシングジムでマネジャーを努め、実弟 恭 選手や、海老原博幸(協栄)選手らの世界王者ポーン・キングピッチ(タイ)挑戦交渉に奔走。後、沢村忠選手を擁し、キックボクシングで一斉を風靡する。


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写真は、1973年4月19日大阪で親友輪島功一(三迫)選手の持つ世界王座に挑戦し敗れた直後の控え室。敗者反町選手を、五木氏がなぐさめに現れたところ。

野口ジムの秘蔵っ子反町選手の世界王座獲得はならなかったが、この年五木氏は、『夜空』で第15回日本レコード大賞を受賞している。

「キックボクシングやってたんだけど、足が短くて。だけど、歌は抜群にうまかったから、もう一回歌手にさせたんだよ」

事の次第は定かではありませんが、野口家とは深い縁のある、地位ある先生からお話を伺った事があります。

反町選手。最後の世界挑戦の地はラスベガス。華のある選手でしたが、ついに世界王座には届かず現役生活を退きました。

五木氏の話から、山田さんが大ファンである協栄ジムの先輩・ジョー山中 氏の話題へと音楽講義は続きます。一度だけ試合会場で遭遇した事があるらしいのですが、「緊張して話しかけられなかった」そうであります。(~~)

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このページは、BOXINGNAVIが2009年12月28日 15:25に書いたブログ記事です。

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